Bohemian Rhapsody─蛹から蝶へ

今日も輝けるひとつの海をのぞいてくださりありがとうございます。



2016欧州フェスティバルツアーが無事終了しました。


約1ヶ月で15ヵ所を巡り単独公演のバルセロナ、ブリュッセルを除き各フェスティバルへの参加となったツアーでした。

QALは全てのフェスティバルに於てトリを務め、アダムにとっては貴重な経験となり、またひとつもふたつもたくましく成長したように感じます。


ここから2ヶ月半後アジアツアーへ入る直前のこのタイミングで、この大切な記事を書くことが出来ほっとしています。


実はこのブログを立ち上げる前から材料は揃っていたので、いつでも書ける状態ではあったのです。

しかし当のアダム本人がこの記事を書けるまでにはまだ模索中の状態だったので、手を着けるわけにはいかずタイミングを見計らっていました。


“2016アジアツアーへ入るまでには書きたい。”

もし“書きたい”と思える
そんなアダムになっていなかったら…

私は書くつもりはなかったのです。


しかしフェスティバルツアーを進めるにつれ
書く決心は徐々に固まってきました。

アダムは確実に階段を上っていたからです。

お蔵入りにならずに済んだ、大切な記録。
ありがとうねアダム。


何故このタイミングかというと後でわかりますが
次のアジアツアーの最終日から
この曲が…

突如として動き出すからです。



『Bohemian Rhapsody』


周知の曲なので細かい説明は割愛しますが
クイーンの象徴ともいえるこの曲。


アダムとの最初の接点は
2008年アメリカンアイドルの予選

いきなりのアカペラでの披露
審査員の度肝を抜いた。


アメリカンアイドル第一回予選 2008/7/17  
サンフランシスコ 会場:カウ・パレス




アダム26歳。

シンデレラボーイストーリーが
幕を開けた瞬間だ。


QALのキーボード奏者スパイク・エドニーによって(正確にはエドニー夫人)その運命は動きだし、アダムの人生にとって間違いなくいちばんの影響を与えるであろうふたりのレジェンドと出会い、同じ船を共にすることとなる。

最初はそのクイーンという船の片隅で膝を抱えて座っていたであろう青年アダムが、やがて自身の足で立ち上がり、そこから見える景色に翻弄されながらも自分の意志で舵をとり大海原へ漕ぎだした。


アダムが

背負ってきたもの
闘ってきたもの
手に入れたもの
手放したもの


これまでの計り知れない代償とともに

フレディの代わりに
そのフロントマンとしての位置に立つという
誰も踏み込むことのなかった、できなかった未知の世界へ

足を踏み入れた。


2016フェスティバルツアーの最終日
イタリア公演でも記した
Radio Ga Gaに広がる無数のクラップの人々の波。

これが何よりの答えだ。



SNSに身を置いていると
嫌でも目にするQALの、アダムへの誹謗中傷。

仮に
その一部の人たちの主張通り
QALの活動によって
クイーンの尊厳が傷つけられているとすれば
とっくにQALの存在は消滅しているはずだ。


未曾有の事態で二度の延期となってしまっているが
2022年には27公演(=過去最高公演数)の
ヨーロッパツアーを控えている。

結成から9年目にして尚も衰えず
その痕跡を残す。


こんな陰口も囁かれる─

“Bohemian Rhapsodyの映画の成功のお陰だろ?”


その通りだ。

映画が成功したのは─
クイーンとQAL、そしてアダムがやってきたことが
偽りのないものだったからだ。

真価は証明された。


“The Show Must Go On”


フレディの遺言どおり

物語は、ショウは
だから終わることなく続いているのだ。


(※2021/5/25 追加公演発表 全34公演に更新)
(※2021/5/26 追加公演発表 全36公演に更新)




さて
前置きが長くなってしまいましたが
(いつものこと…ぼけー)

ようやく本題に入ります。


“Bohemian Rhapsody”


皆さまご存知の通り
QALのステージでプレイされる時

フレディの映像が流れ
フレディとアダム
各々のパートに分かれていた。


ところが2019年ラプソディーツアーが始まり
2020年の来日公演
私は驚きの事実を
目の当たりにすることとなった。


この曲のフレディパートが

一切合切、跡形もなく、、、

消えていた。



そこには最初から最後まで
ひとりで歌い上げるアダムの姿があった。

“えっ!?こんなの聞いてない!
私だけ?知らなかったの??”


果たしてどれくらいの皆さんがご存知だったのか
わかりませんが、、、


19年北米ツアーの動画をいくつか目にしていたにも関わらず、私はこの事実に全く気づかないまま来日公演を迎えていた。
(だって全部のチケット取るのに9ヶ月もかかって、その心労でそれどころじゃなかったんですもんおーっ!)


さらに私はなぜだか勝手に

“日本公演から変わった。”
などと思い込んでいた。(←日本は特別感満載のバカ…)


来日公演を終え、クイーン御一行さまがオーストラリアへ旅立ったその瞬間から、あんなに“ブライアン推し”だった私は突然のアダム沼落ち。

アダムと運命共同体となったその日から狂ったようにQALの遡りを始めたわけだが、最初に取りかかったミッションがこの“Bohemian Rhapsody”の遡りだった。


2014サマーソニック、2016武道館の時は確かにフレディが2コーラス目を歌っていたし、フレディの映像もスクリーンに流れていた。

いったいどこでどう変わったのか…
それを突き詰めるには…

そう、8年間のステージのこの曲を
ひとつひとつ確認していくしかない。


その後自身のブログを立ち上げライブレポートを書くことになろうとは、この頃はまだ夢にも思っていなかったが、いきなりの根詰めたこの作業が今、思い起こせば私のブログの原点になった気がする。






さてここからは〈Somebody To Loveの“love”は誰のもの?〉
みたいなややこしい~話になります。

覚悟してお付き合いくださいませショボーン



まず大きな結論から申し上げると
Bohemian Rhapsodyの歌い方は


3パターンあります。



下矢印こちらがその3パターン(ABC)を記した表になります。
(いつもアナログですみません💦)




ここから動画を付けながら
時系列に説明していきますね。




◆Aパターン(97公演)

①番→アダム
②番→フレディ

オーケストラパート後の

Nothing really matters→フレディ
Anyone can see→アダム
Nothing really matters→フレディ
Nothing really matters to me→アダム
Any way the wind blows…→フレディ



下矢印【Aパターンの最初】

QAL結成後初の2012年ヨーロッパツアーの初日
アダムにとっての初舞台キラキラ


2012/6/30 キエフ(ウクライナ)公演




下矢印【Aパターンの最後】

2016年アジアツアー最終日 バンコク公演
武道館3days来日公演の一週間後だ。


アダムはすでにこのバンコク公演で
決心していた、
この日を最後にすることを。

自分のパートが終わり
次のフレディへ移り変わるとき
明らかに…アダムの様子は違った。


2016/9/30 Inpact Arena, バンコク公演





Bパターン(29公演)

2016ツアー最終日のバンコクで
Aパターンが歌い納めとなり、

翌年6月からの北米ツアー初日から
このBパターンとなります。


Aパターンから
一ヶ所、大きな変更があった。

②番フレディ
アダムに変更された。


①番→アダム
②番→フレディアダムに変更

オーケストラパート後(変更なし)

Nothing really matters→フレディ
Anyone can see→アダム
Nothing really matters→フレディ
Nothing really matters to me→アダム
Any way the wind blows…→フレディ


初披露のこの日…
かなりの、マックス度の
緊張感が伝わってきます。

がんばれアダム!
と思わず画面に手を伸ばしたくなります。


下矢印【Bパターンの最初】

2017/6/23 フェニックス公演




そして北米ツアーを8月に終え
2か月後の11月から始まった
2017欧州ツアーの3日目ハンガリー公演
Bパターンの最後となる。

ツアー途中のこの日だった理由はわからない。


しかしこの日も
アダムは最後の日とすることを
心に決めていたのたろう。

アダムの声は震えていた。


下矢印【Bパターンの最後】

2017/11/4 Budapest ハンガリー公演





◆Cパターン(102公演)

Bパターンのハンガリー公演から
僅か2日後のポーランド公演

いよいよこれが2020来日ツアーでも見られた
最終型となる。


フレディパートが全てアダムに変更され


全てアダムのヴォーカルによる
Bohemian Rhapsody
となった。


①番→アダム
②番→アダム

オーケストラパート後

Nothing really matters→フレディアダムに変更
Anyone can see→アダム
Nothing really matters→フレディアダムに変更
Nothing really matters to me→アダム
Any way the wind blows…→フレディアダムに変更



下矢印【Cパターンの最初】

2017/11/6 ポーランド公演





なぜツアー途中にいきなりの変更…そして
ポーランド公演だったのか。


2012ツアーで初めて訪れたポーランド
その後2015欧州ツアー、2016欧州フェスツアーと
三度訪れている。

QALとして初めてのツアーで訪れた特別な地。

アダムにとっては故郷に帰るような懐かしさがあり
凱旋公演に等しいくらい大切であり
楽しみな地だった。


そしてもうひとつ気になるのは
この11月6日という日付だ。

2011年
北アイルランド・ベルファストで開催された
「MTV Europe Music Awards」

アダムはクイーンとしてステージに立ち

The Show Must Go On
We Will Rock You
We Are The Champions

を披露している。

この先のアダムの運命を思わせるような
圧巻のステージだった。

2009年アメリカンアイドル決勝で共演して以来の
三人のステージ。

QUEEN+Adam Lambertの誕生とされているこの日が
“11月6日”だったのだ。


偶然だったのか意図的だったのかは
定かではない。

どちらにせよ、
すべては運命に導かれるように
2017年のポーランド公演までやってきた。




そして忘れてはならない
もうひとつの変化─

ヴォーカルだけでなく


“フレディの映像もなくなった”


ということだ。



2020来日時
これに気づいた人々が
どう解釈したか
何を感じたかは人それぞれだろう。


私はこう思う─



決してアダムが
フレディを超えたわけではない。


曲は生きている。
歌い継がれていくためのバトンを
アダムに託したのだ。


きちんとした精神で
形を変えることなく
受け継がれているのなら

そこにはその曲を歌う
アダムの姿だけでいいのではないか─







クイーンの象徴であるこの曲を
アメリカンアイドルの予選で
見事に披露したアダム。

ただの偶然なのか
これも何かの導きだったのか…。


“Bohemian Rhapsodyを
歌い継ぐことができるのは
アダムしかいない”


残されたふたりは
答えを出した。



この曲と8年もの間
向き合ってきたアダム。


どんな葛藤があったかなど
簡単には口にはできない。

誰の想像をも遥かに越えるものが
あったはずだ。



“神様からの贈り物”


すべては
フレディのいたずらたったのかな


いたよね
ここにもフレディが…


2020/1/30  NAGOYA Dome, Japan






それはまるで
蛹から蝶へふ化していくかのように

煌めく羽は人々を魅了し
また違う色で曲を彩る


これは唯一無二の

アダムの
『Bohemian Rhapsody』







※こちらは記録用です。

2012年欧州ツアーから最終型になるまでの127公演の『Bohemian Rhapsody』を収めた再生リストを作成中です。

出来上がったものから順次更新していきます。



2012欧州ツアー(6公演)




◆2014北米ツアー(24公演)→作成中



2014アジアツアー(3公演)




2014オセアニアツアー(8公演)




2015欧州ツアー(25公演)




2015南米ツアー(6公演)




2016欧州サマーフェスティバルツアー(15公演)




2016アジアツアー(9公演)




◆2017北米ツアー(26公演)→作成中



◆2017欧州ツアー(4公演)全12公演→作成中






(画像・映像すべてお借りしました)




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