「2014年8月 QNEEN+Adam Lambert初来日」
サマーソニック2014─
大阪、東京行きました。
しかし、その頃のアダム・ランバートの記憶が
私にはほとんどない。
その頃のアダムは私にとって
“ブライアンとロジャーを
また日本に連れてきてくれた
ありがたい人”
に過ぎなかった。
そんな私がなぜ今、アダムの痕跡を必死に残そうとしているのか、ここにその理由を書き出したら延々と終わらない…
きっとこれから綴っていく何ページもの“記録”が全てを語ってくれると思います。
ここから先はアダムについて書いておこうと思います。
ネットで検索すればわかることばかりです。
「QAL」「アダム・ランバート」それぞれの情報はあらゆるところに蔓延しています。
ただ、困ったことがひとつ。
私の頭の中でそれぞれの情報が『時系列』に並んでいない問題。
QALとしての活動とソロとしてのアダムの活動が入り乱れてこんがらがっている。
時々、“あれ?これはどっちが先だっけ?”とか、“この空白期間は何だっけ?”と混乱してしまう。
なのでひとつひとつを順番に並べていこうと思います。
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Adam Lambertは
1982年1月29日インディアナ州インディアナポリス
で生まれた。そこで暮らしたのは1歳までで、その後は父親の仕事のため、カリフォルニア州サンディエゴに移り住んだ。
右がアダム
一つ違いのニールという弟がひとり、後にアダムのソロツアーなどに帯同したり、スタッフとしてアダムを支えてくれた。
10歳になったアダムはミュージカルの舞台俳優として活動。
サンディエゴで「きみはいい人チャーリーブラウン」に出演。
高校卒業までに「ハロードーリー」「キャメロット」「ミュージックマン」「グリース」などに出演。
この頃からアダムの両親は、ミュージカルの基礎となるボイストレーニングを彼に習わせてくれた。
そのお陰で喉の使い方などをしっかりと習得でに、このトレーニングが今のアダムの基礎となっている。
高校卒業後、ロスに移住。
大学へ進学するが数週間で中退。
19歳でクルーズ船のシンガーとしての仕事を得る。
1993年21歳でミュージカル「ヘアー」のツアーキャストとして6ヶ月間ヨーロッパを回る。
2004年までに「ブリガードン」「110 in the shade」「The Ten Commandments:The Musical」などに出演。
2005年にはミュージカル「ウィケッド」に出演。
これに平行してロックバンド「Citizen Vain」のフロントマンとして音楽活動を始動。
そして遂にアダムの運命が動き始める。
2008年7月17日
「アメリカンアイドルシーズン8 第1回予選」に出場した。
会場はサンフランシスコ・カウパレス。
最初の予選で披露したのが偶然にも
「Bohemian Rhapsody」だった。
“何が歌えるか?”の問いに自分の歌唱力をアピールできるドラマチックなこの曲を選んだという。
このアダムの「Bohemian Rhapsody」を聴くと今でも鳥肌が立つ。
この曲を選んだことは偶然ではなく必然だったんだと今はそう感じる。
◆アメリカンアイドル第1回予選
“Adam Lambert Sings Queen Bohemian Rhapsody In First Audition On American Idol | Idols Global”
その後10ヶ月間の予選を勝ち抜き
2009年5月20日
アメリカンアイドル(以下アメアイ)決勝
ここでクイーンとの
運命的な出会いを迎えた。
これに関して興味深いエピソードがある。
このアメアイ決勝に行くまでの間、最初にアダムを見つけたのは実はブライアンでもロジャーでもない。
クイーンのサポートメンバーとして35年を共にしてきたキーボード奏者、スパイク・エドニーだ。
後にアダムを支えてくれる大切な存在となる。
アダムを見つけた時の衝撃的な出来事を語る記事が「Rolling Stone Japan」のWebサイト(2019.9.9付)に載っている。
アダムはこの決勝の舞台でブライアンとロジャーの演奏で、最終候補者のクリス・アレンと「伝説のチャンピオン」を熱唱する。
◆アメリカンアイドル決勝
“Adam Lambert and Queen – We Are the Champions – Finale – 20/05/09”
結果は準優勝と終わったが
ブライアンとロジャーは
アダムのヴォーカルに惚れ込み
クイーンへの参加を打診。
この件に関してAP通信が
アダムの胸の内を聞いている。
「それは難しい質問だね。だって正直クイーンにならないか、という申し出をどう断ったらいいんだい?こんなの信じられないよ。今は自分でやりたいこともあってそれが僕の今の目標でもあるんだ。出来ることなら両方やってみたいね。」と語っている。
この頃のアダムはソロとしてのデビューを目指していた。
同年2009年、11月23日デビューアルバム
「For You Entertainment」をリリース。
翌年2010年3月10日、日本デビュー。
「For Your Entertainment スペシャルエディション」(DVD付)をリリース。プロモーションで初来日を果たした。
3月15日に日本テレビ系「スッキリ!!」に生出演。
タイトル曲「For Your Entertainment」を披露。
同年自身のソロツアーとして、2010年6月から北米、カナダ、アジア(日本10月を含む)、ヨーロッパ、オーストラリア等を回るワールドツアー「Glam Nation Tour」(113公演)を行った。
この年のグラミー賞では1stアルバム収録曲「Whataya Want From Me」が“最優秀男性ポップヴォーカル”にノミネートされた。
2010年10月にツアーとして初来日を果たし、3都市5公演を行った。
そして、翌年2011年11月6日「MTV Europe Music Awards」(北アイルランド・ベルファストにて)に出演。
遂に、クイーンとの共演が実現。
ここが『QNEEN+Adam Lambert』
の誕生とされている。
◆出演後BBC放送のインタビュー
“Interview: Queen and Adam Lambert – 6 November 2011”
翌年2012年3月15日、アダムはセカンドアルバム「TRESPASSING」をリリース。
全米1位を獲得した。
そしていよいよ同年、2012年6月からクイーンとの本格的な活動を開始。
東ヨーロッパからロンドンを回るヨーロッパツアー(4都市6公演)を行った。
アダムはその時自分が出せる精一杯の力でこのレジェンドたちの再スタートのステージを務め上げ、クイーンファンの前で圧巻のステージを披露した。
彼はこのツアー直前に自身のソロライブDVD「GLAM NATION LIVE」を発売している。
それと同時期「Avicii(アヴィーチー)」(2018年4月20日28歳で没)のデビューアルバム「True」にナイル・ロジャースと共に1トラックコラボしている。
クイーンとのツアーを終えアダムは再びソロ活動へ。
QALヨーロッパツアー2012最終公演からわずか3週間後の8月、サマーソニックヘッドライナーとしてソロ名義で2度目の来日を果たしている。
2012/8/14 「スッキリ!!」生出演
その翌年2013年2月ソロツアーとして「We Are Glamily Tour」として3度目の来日。
4都市6公演を回る。
2013年~2014年にはかけては米ミュージカルドラマ「Glee(グリー)」シーズン5のエピソード4、7、9、10、14にゲスト出演。
そして自身のソロ活動を終え2013年9月20日、クイーンとして「iHeart Radio Music Festival」に出演。
このステージではソロとして経験を積んだアダムの飛躍した成長ぶりを見ることができる。
“Queen + Adam Lambert – iHeartRadio Music Festival 2013”
2014年3月7日、クイーン+アダム・ランバート(以下QAL)の北米ツアーが発表された。
この時点ではまだ日本公演の発表はされてなかったが、確実に実現するであろう来日決定の朗報に日本のクイーンファンは期待に胸を膨らませていた。
同年6月16日、2度目の「iHeart Radio Music Festival」に出演。
ここでも圧倒的なパフォーマンスを見せつけ、その勢いのまま3日後、2014年6月19日からQALとして初のロングツアーを開始した。
2014年 6~7月 北米ツアー(22都市24公演)
2014年 8月 アジアツアー
韓国スーパーソニックソウル
日本サマーソニックのヘッドライナー
として初来日
2014年8~9月 オセアニアツアー
オーストラリア(4都市6公演)
ニュージーランド(1都市2公演)
9月にオセアニアツアー千秋楽を迎えた矢先、畳みかけるように翌年2015年の欧州ツアーを発表。
ブライアンもロジャーも手応えを感じていたのだろう。
その後も勢いが続いた。
2014年大晦日、QALはロンドン・ビッグ・ベンでカウントダウンライブ「Rock Big Ben Live」を行う。
この頃のアダムは自信に満ちていて、観る人々を魅了するクイーンのフロントマンへと急成長を遂げていた。
年が明けて2015年5月27日、アダムは自身のソロベストアルバム「The Very Best Of Adam Lambert」をリリース。
その翌年からQAL2015欧州ツアーが始まる。
この欧州ツアー2015がアダムの大きな転換期になることを誰が予想しただろう。
ビッグベンのカウントダウンのアダムを観るといつも思うのだ。
このままの勢いで行っていたら、果たして今のQALは存在していたのだろうか…と。
今回はここで終わりにしておきます。
以降はまたタイミングを見て書きたいと思います。
↓その後の記事、続編です。
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