今日も輝けるひとつの海をのぞいてくださり
ありがとうございます。
皆さんには夢がありますか?
14歳のころ洋楽の扉を開き、私の音楽人生は始まりました。
長い時を経て、今はグランバーツとしてアダム・ランバートと人生の最後を歩いています。
アダムは私にとってファンとして、という位置づけとは少し違うところにいます。
彼の音楽はもちろん大好きですが、彼の辿ってきた人生を愛し尊敬し、誰よりも幸せになってほしいと願いつつ自分が持てる限りのエネルギーを費やし、このサイトをアダムの城として立ち上げ今に至ります。
そんな中で、アダムに出会う前から私の音楽人生を支えてくれていたバンドがいます。
彼らのファンであることは伏せて活動してきましたが、待ち続けた大きなニュースが飛び込みその瞬間を見届けるため、そして自身の長年の夢を叶えるべく、この9月イギリスへ向かいました。
渡英する前は、ここにブログとして書き残すつもりはありませんでした。
しかし三日間の滞在で私が見たもの、感じたことがあまりにも尊いものであり、きちんと記録として残しておかなくてはいけないと強く感じ、記事に起こすことにしました。
Bon Jovi Wembley Stadium 復帰公演
しばしおつき合いください。
全地球上のBon Joviファンを震撼させた最初の一報は、昨年の10月23日でした。
There is a lot of joy in this announcement – joy that we can share these nights together with our amazing fans and joy that the band can be together. I am lucky enough to be able to hold a light out to the audience each night and stand in their reflection for a tremendous… pic.twitter.com/UlvTnWYQ3z
— Bon Jovi (@BonJovi) October 23, 2025
※以下ポスト内の翻訳
“この発表には多くの喜びがあります – 素晴らしいファンの皆さんと、これらの夜を共に過ごせる喜び、そしてバンドのメンバーが再び集まれる喜びです。私は一つ一つの夜に客席に向けて光を放ち、その光が観客から跳ね返ってくるのを感じながら、一体となって生まれる壮大な体験の中に身を置けること– コンサートという「私たち(WE)」の空間に立てることが、本当に幸運なことだと感じています。
これまで何度も感謝の気持ちを伝えてきましたが、改めて言わせてください。私が健康を取り戻し、ツアーの準備をするために必要な時間を待っていてくれたファンの皆さん、そしてバンドの仲間たちに心から感謝しています。準備は万端だ、ワクワクしています! – JBJ”
このツアー発表をどれほどファンが待ち望んでいたかは、到底言葉にはできません。
それはジョン・ボン・ジョヴィが“健康”を取り戻すことが大前提だったからです。
2018年の来日を最後に彼らに会うことはなく、ここまで来ました。
この8年の間に彼に何が起こっていたのか。
異変は少しずつ表れていましたが、2022年4月北米ツアーを終え、多くの曲が歌えていない状態に陥っており、それはすでに…限界まで来ていました。
自分でもわかっていたけれど、心のどこかで事実を認めたくない恐怖があったのだと思います。
妻のドロセアからの“あなた歌えてないわよね”という言葉が後押しになり、ようやく医療機関を受診することになったそうです。
ドロセアはジョンの高校時代の同級生。
どんな時も彼を支えてきてくれた最高の伴侶であり、この一言がなかったら今のジョンはいなかったかもしれません。
診断の結果、声帯の片方が委縮して正常に閉じなくなり、発声や歌唱が困難になる状態であることが判明、病名は「声帯萎縮症」
片方の正常な細胞を移植する大規模なインプラント手術「声帯内方移動術」を2022年6月に受け、その後治療とリハビリを続けてきました。
手術を受けることを決断するまでの彼の苦悩を想像すると、ファンなら誰もが“変わってあげられるなら変わってあげたい”と思ったでしょう。
いや、自分の声帯ではジョンの代わりにはならないけれど…もどかしい気持ちでいっぱいでした。
歌いすぎだ、喉を酷使してきたからだという言葉もありましたが、彼はプロです。
正しい喉の使い方ができるようきちんとヴォーカルレッスンを受け、喉のケア、メンテナンスも専門的なレベルで行ってきたプロのヴォーカリストでも、こういう事が起こり得るのです。
ヴォーカリストが声を失う、自分の喉にメスを入れるという想像もできないような恐怖と闘いながらも大きな決断に至った経緯には、同じ経験をしたカントリー歌手のシャナイア・トゥエインの存在が大きかったそうです。
amass.jp 2026/08/03付
ジョン・ボン・ジョヴィが声帯の問題に直面していた際、すでに同じ手術を受けていたシャナイア・トゥエインが送ったアドバイスとは?
シャナイアの現在の歌声は、困難な手術を受けたとは思えないほど素晴らしい歌声です。
しかし、この手術を受けたからと回復する保証はないデメリットを、はっきり彼に伝えてくれています。
“二度と歌わない、90分から2時間にわたるライヴを行うのはもう自分には無理だと受け入れるのか、それとも手術を受けてその可能性に賭けるのか。私は失うものなんて何があると思ったんです。
私の声は以前とは違います。でも、その変化を受け入れています。歌えること、音程をしっかり保てること、そして力強く、自信を持って歌えることに心から感謝しています。”
シャナイアの言葉は真っすぐに、彼に届いたと思います。
ジョンはこう考えたと私は思いました。
自分にとって“二度と歌わない”という選択肢はない、と。
残る選択肢、手術を受けリハビリをして復帰を目指すこと、どんな結果になろうと後悔はしない、そして必ず自分はやり遂げるんだと自身を信じ、決断したのだと思います。
術後声も出ない状態から3年、一日も休まずリハビリを続けたと言います。
その間他のメンバー、そしてBON JOVIという大きな会社の組織下にある多くのスタッフ、クルーたちは、離れることなく彼の復帰を待ったそうです。
もちろん世界中のファンたちも。
もうだめかもしれない…そんなことも正直、私の頭をかすめました。
この3年は本当に長かった。
復帰ツアーの発表の日程を見て、そこにWembleyの文字を見つけたとき、彼の復帰に対する強い想いと覚悟を感じた。
彼にとってのWembleyは特別な場所、そして私にとっても大きな夢の舞台でした。
1995年These DaysツアーのWembley Stadiumでのライブ映像を観て、いつかボン・ジョヴィを海外のスタジアムで観たい、それはWembleyでと思うようになりました。
NYとUKのこの小規模ツアーを終えてから、その後の展開は判断すると彼は言及していた。
来日の可能性はこの時点では白紙状態、でも来日するしないに関係なく、ジョンの復帰をこの目で見ないでどうする、そこがWembleyなら行くべきだと迷わずロンドン行きを決めました。

最終的にアメリカMSG9公演、UKはエジンバラ、ダブリンの単発、ロンドン3公演、全14公演が組み込まれた。
MSGのタイトな日程に対して復帰公演にしては詰め込み過ぎだという声があり、私もそこは感じたがこれには大人の事情があることも否めない。
MSGを定期公演で抑えるとなると、経費など運営の面でタイトな日程にならざるを得なかったのではと思う。
そんなリスクを抱えながらも、この会場以外の選択肢はなかったのだろう。
移動の負担を減らすこともあると思うが、それだけMSGという場所はバンドにとって不可欠な存在だった。
ウェンブリーは最初の時点では9月4日しかなく、チケットを買い求めたが即完売。
チケマスのWaiting Roomに入った時の「待機12万人」の数に絶句した。
どんだけみんな待ってたねん!やんな…😭
すぐに6日の追加公演が発表がされた。
発売時間がはっきりしなかったのでどうしたものかと、アダムファンの仮面を被った私はタイムラインを彷徨い、ある権威あるBJアカウントの方に恐る恐るリプを入れてみた。
するとすぐに詳細な返信があり、BJファンのやさしさに救われたのでした。
今回は6日の1公演のみ参戦、2泊3日の日程を組んだ。
実は昨年3月、イギリス入国ビザのETAをすでに取得済みだった。
手数料に大幅な値上げがあると知り当時渡英の予定はなかったが、有効期限の2年以内には自分はイギリスに行くと勝手に決めつけ、願掛けを込めて手続きをした。
その半年後に今回のツアーが発表された。
来年3月で有効期限を迎えるのでギリギリではあったが、願掛けが効いたのかもしれない。
運を自分で呼び込むことで、これまで自分の人生は幾度となく救われてきた。
思い込みほど最強なものはないと思っている。
UKツアーは8月28日、エジンバラから無事開幕した。
そこでいきなりのハプニング、大事件が起こった。
とんでもない曲がリストインしたのだ。
Hey God
まさかのこれが来るとはな。
やりおったなジョンの奴め😂
きっとMSGから寝かせてあったんだろう…彼のドヤ顔が目に浮かんだ。
Hey Godと聞いて多くのファンが思い浮かべるのは、95年Wembleyだろう。
“95年から96年にかけてのThese Daysツアーでは繰り返し演奏されていたがそれ以降はほとんどなく、100公演近くある一つのツアーの中で1回だけリストインするレベルの、非常にレアな曲として定着した”
こちらの私の曖昧なXポストにご指摘を受け詳細を調べてみたところ、2011年クロアチア、ダブリン、ミュンヘン、リスボン、ハイドパーク、2010年ロンドンO2アリーナ、2001年横浜、大阪で演奏されていました。
“100公演近くある一つのツアーの中で1回だけ”という表現が誤解を招いてしまい、2000年以降は1回しかプレイされてないと伝わってしまいました。
この例に挙げた“1回だけ”というのは2013年Because We Can Tourのノルウェー1回のことである。
今把握できでいるのは2000年以降で計9回。
2014年以降はまだ曖昧なのでまた詳細を調べたいと思います。
彼らのアルバムの中でいちばん暗いと言われている、でもいちばん好きなアルバム『These Days』のオープニング曲として収録、シングルカットされている。
ボン・ジョヴィのイメージから、世の中に満ちている不条理への怒りをここまで露にしている曲は当時珍しく、神に向かって何度も呟く“Do you ever think about me?”のジョンの歌声が心に刺さる。
私を海外のスタジアムへ導いた95年Wembley公演。
ステージにひざまずき、天を仰ぎ歌い叫ぶHey Godがカッコよくて、私の中ではそれ以来、Wembley=Hey Godとなるほど、その名の通り神曲となった。
もし今回渡英の予定がなくとも、エジンバラのセットリストを見たらすぐにイギリス行きの準備を始めていただろう。
一曲のために飛ぶ、それほど価値ある曲なのだ。
Wembleyまで外されることはないと100%確信はあった。
UKツアー開幕とともにリスト入りさせた意味、バンドにとってファンにとって、どれほど大切な曲であるかを彼はわかっているはずだから。
さていつものライブレポのように会場のご紹介から。
(前置き長かったからまだココ😂)
Wembley Stadium
皆さま周知のように、現在のスタジアムは2代目となる。
初代Wembley Stadiumは1923年に開場。
老朽化のため2002年に使用を中止し、同じ場所に建て替えられた。
2003年に着工、2006年前期の完成を予定していたが、工事が遅れるなどで2007年3月10日にようやく改修工事が完了、5月19日にFAカップ決勝戦で開場となった。
(この工事の遅れに伴い、2006年に予定していたボン・ジョヴィによるこけら落とし公演が、急遽ミルトン・キーンズへ会場が変更された。
歴史的な新スタジアムの落成記念公演を開催するチャンスを逃したことで、当時のジョンは激怒していたのだが、その話を4日と6日、These Daysの演奏前のMCで話している。)
キャパシティは約90,000人。
スペイン・バルセロナのカンプ・ノウについでヨーロッパ第2位の大きさであり、屋根のついたスタジアムとしては世界最大である。
屋根はスタンド席を覆うことが可能だが、雨が斜めに吹き込む時は濡れることがある。
またコンサート時スタンディングとなるピッチ内は、屋根がないので注意が必要。
ボン・ジョヴィは2000年CRUSH TOURとして8月19日と20日に公演を行っている。
これが旧ウェンブリー・スタジアムが閉鎖される前にそこで演奏した最後の公演アーティストと記録されている。
そして新ウェンブリーになってからいつが最後だったのかと溯ると、2019年This House Is Not For Sale Tourで訪れた2019年6月21日以来となる。
オフィシャルのライブ映像が残っている記事があるので、こちらに貼っておきます。
amass.jp 2019/07/20付
ボン・ジョヴィ 6/21ウェンブリー・スタジアム公演から「Always」のライヴ映像公開
この頃すでに声の違和感はある。
スタンドマイクから手を離せない姿に、そう言えばいつもこんな姿で歌っていたと思い出した。
そして違和感があるのは…声より笑顔のない満身創痍なその表情。
私が観た同じウェンブリーのジョンとは思えないほど、別人のようだ。
ではここからが本編(やっとで😆)
初ウェンブリー参戦日記始まります!
(長いですよ、通常運転です。ご覚悟ください…)
9月6日 12時50分 Wembley Park駅に到着。

駅の改札を通るとすぐに急な階段があり、視界が抜ける。
その先から会場へとOlympic Wayが続く。
視界の先にある巨大アーチにロックオン、足元見てないから危ない危ない😅

この写真は夕方の撮影なので人が多いですが、昼の到着時はまだ少なかったです。
マーチはこの両脇の複数個所で展開されており、日本のように一箇所に何時間も並ぶようなことはなく、すぐに買えました。
Tシャツは米国50ドル、アイルランド50ユーロの価格設定だったが、さすがにポンド200円超えのイギリス本土は45ポンドになっていた。
来日公演があれば、9000円くらいになるかもですね。

バッグポリシーは以下になります。
持ち込み可能は小型バッグ1個のみ、サイズはA4サイズ(297mm×210mm×210mm)以下。
空のペットボトルは500ml以下なら持ち込み可。
入場後、中のWater Stationで給水できます。
ペットボトルはバッグに入らないといけないのかと小さめのボトルにしましたが、入場時手に持っている人もいたのでそれはOKのようです。
スタジアム外の公式ストアで購入したものはビニールバッグに密封され、開封しない状態で持ち込むことが可能。
入場後は開封してもいいようです。
Olympic Wayの先、ついに到着!!😭

実は私は、2022年にQUEEN+Adam Lambertのロンドン公演(O2アリーナ)に来ています。
4年前のこの渡英が正真正銘初めての海外ひとり旅であり、初の地下鉄に挑戦、憧れのウェンブリースタジアムを一目見ておきたくて、ここを訪れています。
何のイベントもない日で、人はほとんどいませんでした。
この正面エントランスで写真を撮り、次に来る時は必ずライブで戻ってくる、と誓いを立て後にしました。
あの日から4年。
目の前にBON JOVIのLEDビジョンがあることが、現実としてまだ信じられない光景でした。
感無量。
自分が再び戻ってこれたこと、そしてジョンの復帰公演という最高の舞台で。
さて、正面エントランスまで来るとスタッフの方がいて、チケットを見せると“こっちを建物沿いに5分くらい歩くとTurnstile Bがあるよ”と案内してくれました。
その時Turnstileの意味がわからなかったのですが、回転式改札口のことだったようです。
Turnstile Bに到着です!

数字の下に回転式のバーがある入場口があり、手前でチケットのQRコードをスキャンしてバーを押して入ります。
このTurnstileと呼ばれる入場ゲートは、旧ウェンブリーの頃からあったようです。
昔はここで現金でチケットを買い、回転バーをくぐり入場していたそうです。
ライブ会場でこのようにセルフで入場するのは初体験で、ワクワクしました。
前に並んでいた人がなかなかQRが読み取れないようで苦戦していたので、自分は大丈夫かなと心配でしたが一発OKで無事通過しました。
が、その先に苦手なセキュリティゲートが😂
通過しようとしたら案の定止められ、“バッグを置いて手を広げて”とチェックを受けました。
そこはクリアし、次にカバンの中身を調べられこちらも問題なし。
空港のセキュリティといい、いつもいつも、いったい何に反応するのか教えてほしいくらいです💧
ようやく入場!!
Water Stationがすぐ目の前にあり、持ち込んだペットボトルに給水。
するとすぐ目の前に携帯が充電できる場所がありました。
なんと!ちゃんとあるではないか、、、
実は昼過ぎに到着してウロウロ写真を撮っていたら充電がなくなってきて、バッテリーを忘れてきたことに気づき、ホテルのあるBaker Streetまで電車で一度戻ったのでした。
その時運悪く自分が乗ったジュビリー線に遅延が発生し、車内アナウンスがあったのですが英語が聞き取れず、回りの人たちがわらわらと降りて行くので何かあったのかとキョロキョロしていたら、向かいのホームにメトロポリタン線の列車が入ってきて、思わずホームへ降り、飛び乗りました。
私の目的地はこの2線が乗り入れているので、どちらでも行けることだけは頭に入っており、とっさの判断が役に立ちました。
私は海外では、街中、列車の移動中など人前では極力スマホを出さないようにしています。
目的地までの経路や情報は手帳に書き込み、書くことで多少は頭に入ります。
地図は印刷して持参、ただでさえ見辛いスマホの画面、日差しのある屋外でもスマホの画面よりは紙の方が見やすい。
何より手帳なら万が一盗られても、スマホよりは損害は少なく済みます。
今回の電車の遅延、時間に余裕があったので事なきを得ましたが、万が一時間がない場合もスタジアム内で充電できることがわかったので、次からは安心だということを覚えておきましょう。
はい、次があることが前提ですよもちろん😊
さて、いよいよステージへ!!
低い通路をくぐり、視界の前にあの何度も映像で見てきた巨大ステージセットが現れ、ウェンブリーの象徴である真っ赤な観客席が、一面に広がりました。
ついに夢にまで見たウェンブリースタジアムへ潜入!!!
いやもう、ヤバいとすげぇしか出てこない、、、😆
目の前に空高くアーチが広がり、その時初めて“アーチはこちら側からしか見えない”という重要事項に気づきました。
チケットを買う時は何も考えずステージ向かって左手、下手側を選びましたが、自分よえらいぞと褒めてあげました。
旧ウェンブリーの象徴だったツインタワーはなくなりましたが、その代わりにできた巨大屋根を柱なしで支えるためにできた巨大アーチ。
高さ133m、全長315mの世界最長のシングルスパンの屋根支持構造。
そのお陰で客席は視界を遮るものがなく、どこからでもピッチを臨める良好な眺望を実現している。
アーチの色鮮やかなライティング、最初何か照明を当てているのかとアナログな考えしか思いつかず調べてみた。
アーチの周りには38個のリングがあり、合計228基のカスタムLED照明が取り付けられているらしい。
そうよね、そうでなきゃあんな動的な演出はできないよねと納得。

“この空が暮れていく頃どんな色に染まっていくんだろう”
椅子に腰かけ、ずっと上を見ていた。
雲がどんどん形を変え流れていく。
私はロンドンのモクモクした雲が好きだ。
自分が住んでいる東北の空と似ていると、最初来た時から感じていた。
開場は午後5時、午後6時からオープニングアクトのJames Bayが始まった。

この頃で客席はまだ半分も埋まってなかったような気がする。
時間通り午後6時45分終了。
ボン・ジョヴィは午後7時15分開演予定。
ウェンブリー二日目のセットリストはこちらです。

※当日のコンディション
天気 晴れ時々曇り
最低気温 15℃
最高気温 27℃
日の出 6:21
日の入 19:37
※レポート内の動画は自身の撮影動画(限定公開)を使用していますが、一部お借りしているものがあります。
それでは開演いたします!
1. With a Little Help From My Friends(The Beatles cov.)
カウントダウンが始まった!
何度も動画で見てきたステージが目の前で繰り広げられている。
まだ夢を見ているんじゃないのかと、ここが現実だと思えなかった。
エスカレーターから降りてくるメンバー
ついに8年振りのジョンの姿が😭
ほんとにジョンだよね
ここはウェンブリーだよねと何度も自分に言い聞かせた。
チケットを買って準備をしてここまでやってきたこの一年の、さまざまな場面がよみがえってきた。
7月7日から始まったMSG公演から固定となっていたオープニング曲。
ボン・ジョヴィがオープニングとしてカバー曲を使うのは珍しい。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーがリンゴ・スターのために書いた曲。
なぜこの曲を選んだのかは、冒頭の歌詞からジョンの想いは伝わってきます。
“What would you think if I sang out of tune?
Would you stand up and walk out on me?
Lend me your ears and I’ll sing you a song
And I’ll try not to sing out of key”
僕が音程を外して歌ったら君はどう思う?
立ち上がって出ていってしまうかな?
これから歌うからちょっと耳を貸してくれないかい?
できるだけ音を外さないように歌ってみるからさ
3. We Weren’t Born To Follow
ジョンは膨大な数の楽曲の中で、特に大ヒットしたわけでもないノーマル的な曲を、頑なにセトリの定番としてやり続けることがある。
今回ほぼ固定されているLost HighwayやWhole Lot of Leavin’はともに全米シングルチャート100位にランクインしていない。
(この2曲が収録されたアルバム『Lost Highway』は初登場2007年全米1位獲得)
にも拘わらず、この2曲はアルバム発売後からツアーを重ねる度にリストインを、ゆるりゆるりと続けている。
来日するたびに“またやった!ジョン好きだよなあ”と思っていたものだ。
2009年11月にリリースされた11枚目のスタジオアルバム『The Circle』の最初のシングルカット曲であるこのWe Weren’t Born To Followも最高順位は68位…こんなにいい曲なのに!🥲
ジョンは何気にお気に入り、登場回数の多い曲だ。
“We weren’t born to follow
Come on and get up off your knees
When life is a bitter pill to swallow
You gotta hold on to what you believe”
自分たちはただ従うために生まれてきたんじゃない
さあ、ひざまづくのは止めるんだ
人生がどんなに辛く受け入れがたいものでも
信じたものを握って離しちゃいけないんだ
人は必ず人生に躓くときがある。
どんな時も自分を信じて進むしかない。
必死で生きる人たちへの応援歌
そして自分に対しても言い続けてきた、
いつの時も前を向くんだと。
ジョンに見えるように高く高く何度も両手を上げた。
満足そうな満面の笑みにステージに立てる喜びが満ち溢れていた。
彼の居場所はここしかない。
この曲が終わる頃
ロンドンは日没を迎えた。
午後7時37分。
ここからゆっくりと空は暮れていく。
ここで一つ訂正しておきたいことがあります。
ウェンブリーのXポストで当日の日没の話をしました。

太陽がステージから向かって正面に沈むというのは誤りで、実際は反対側のステージ後ろ側に沈みます。
なぜ正面に沈むと思ったのかと言うと、95年ウェンブリーの映像から同じだと思い込んでしまったからです。

この光が太陽の反射ではないとすれば、旧ウェンブリーはステージ正面が西だったと思われます。
新ウェンブリーの方角を調べたところ、ステージ側が西ということが判明。
ちゃんと確認せずにポストしてしまったことをお詫びいたします。
6. Born To Be My Baby
こちらもスタンディングエリアの動画をお借りしました。
みんな大好き定番曲。
私もこの曲は撮影なしで思いっきり歌いました!
出だしのとこ、わざと歌ってないですがこれ威嚇してます。
たまにやるやつです、、、
これやられるとオーディエンス、俄然はりきります😆
後半のジョンの笑顔、力いっぱいのクロージングにどれだけ気合が入ってるかは一目瞭然。
声はまだまだですが、ここからさらにギアを上げていきます。
7. Legendary(w/James Bay)
時刻は午後8時。
水色のアーチのライティングが、まだ薄明るい空に溶け込んでいく。
2024年6月に発売された16枚目のスタジオアルバム『FOREVER』
長年のプロデューサーであったジョン・シャンクスがリズムギター、エヴェレット・ブラッドリーがパーカッションとバッキングボーカルを担当し、正式なメンバーとして7人でレコーディングされた初のスタジオアルバムだ。
ジョンの声帯手術から初のアルバム、復帰作となる。
そこからファーストシングルとしてリリースされたLegendary。
”一緒に立ち上がってくれる友がいる限り
信念を持って生き抜く
何を言われようと両手を空に掲げ
僕は生きているんだ”
貪欲に生きてきたジョンの生きざまと強い決意が表れた、ボン・ジョヴィらしい一曲。
サビの部分から一気に畳みかける曲調は、バンドの象徴であり、得意とするところ。
この曲を初めて聴いた時、あー、ボン・ジョヴィが戻ってきた!とこれは誰もが感じていたはず。
ライブで歌いたい!と思わせる曲だ。
FOREVERツアーが開催される日は、本当にやってくるのだろうか…。
そんなことを思った日々が遠い昔のように感じる。
今、目の前でLegendaryを歌うジョンの姿に辿り着けたことに、喜びと感謝しかない。
※なお、この曲に参加してくれたジョンの友人であるJames Bayはこの後なんと骨折をしてしまい、翌日最終日のオープニングアクトは車椅子で登場、何とか務め上げてくれたが、Legendaryには参加していない。
貴重な二日間のみのコラボとなりました。
一日も早いご回復をお祈りいたします。
9. Bed of Roses
バラードの、ある意味不動の一位と言っていいくらいの、絶対的存在感のあるこの曲。
セトリの登場回数がバラードの中でいちばん多いのではないだろうか。
ジョンが二日酔いの頭を抱えながら、ホテルで書き上げたというエピソードがある。
“薔薇のベッドに寝かせてあげたい”のは奥様のドロセアのこと。
薔薇のベッドというのは裕福な家庭という意味もあって、経済的にも苦労を掛けたくないという想いが込められている。
この曲がリリースされた年の4年前、89年に二人は電撃結婚しているが、それまでの二人は決して順調ではなかったことは知れた事実。
高校の同級生だったドロセアをやっとで彼女にできたのに、ボン・ジョヴィのデビューで遠距離恋愛になり一度別れているが、そこから紆余曲折、やはり自分には彼女しかいないと気づいたジョンが復縁を迫り、元の鞘に収まったのだ。
他のバラードと違うところは、この曲はオーディエンスが思い思いに楽しめる、恋人たちだけでなく友人、家族…それぞれが曲の世界にのめり込める至福の時間だということ。
私の隣りにいた仲良しの女性二人組はひとりが会場の動画を撮り、もうひとりが自撮りで抱き合う自分たちの姿を収めていた。
ふたりでこの日を楽しみにしていたのだろう。
かなり弾けていたのでたぶん彼女たちのインカメの画面には、私も映っているような気がする🤭
私の画面にもふたりのスマホが乱入してきたが、これもいい思い出になった。
10. Have A Nice Day
ここで大事件!!
In These Armsのつもりで私は撮影をスタートさせていた。
ところが鳴り響いたイントロに、こ、こ、これは!?と慌てふためき歓喜の舞!!!
7月のMSG最終日で姿を消した私の大、大、大好きな曲が見事に復活を遂げたのです😭
そしてさらに気づいたのが、ジョンの声が戻っているということでした。
まずは大事件!ナイスくん復活😭大好きなこの曲外されてほぼ諦めてたけどまさかの救出劇ありがとうジョン😆
— milkyseas (@milky_seas39) September 6, 2026
てかさ、声戻ってきてるよね?この曲でえ?てなったのよ。中低音の特に低音にちょっとエッジかかってきてない?“white” “seems”“face I say”のとこ。だから復活させたんだよね?#BonJovi pic.twitter.com/lnNk8a87am
2コーラス目から特に安定してきて、dayの音程が徐々に上がるところ、最後の“Have a nice day!”は完璧に歌えている。
わずかだがいくつかの言葉にエッジもかかってきていた。
この曲を復活させたことには大きな意味がある。
歌えば歌うほど彼の声は戻ってきていた。
いちばんのリハビリはステージの上だったということだよね。
11. These Days
ジョンが黙々と喋り出したのは、2006年に予定していた新ウェンブリーこけら落とし公演が、建設工事の遅れのためミルトン・キーンズへ会場変更を余儀なくされた例の事件。
当時の悔しさが再燃したかのようにペラペラと喋っているのだが、いやいや話の内容どころじゃない。
ここで気づくことはその声自体、戻ってるんじゃないの?てこと。
途切れずかすれもせず、一瞬当たり前のように聞こえるが、これまでこんなに流暢に喋れていただろうか。
実は二日前のウェンブリー初日でも、同じタイミングで同じ話をしている。
だが今日この日の彼の喋り声は、まるで別物だった。
先の曲Have A Nice Dayで感じた声の変化から、私の中でこの曲が決定打となった。
その決定打がまさにここ。(5:30~)
“This world keep turning round and round
and round and round these days”
後半のギターソロ直前、ここは曲の要。
rounndに合わせてジョンが大きく手を廻すところ。
round and round のキーがどんどん上がっていくのだが、二日前までは最後の二つの“round”が高くて歌えているとは言い難かった。
しかし、この日の彼の声を聴いてほしい。
最後の“these days”の“days”まで滑らかに違和感なく歌えている。
ただ単に声が出ている、歌えているというレベルではなく、紛れもなく“彼の声”。
戻ってきたのだ、遂にジョンの声が。
彼の復活を、私はこの曲で確信した。
いや、この曲だから気づいたと言えるかもしれない。
この動画のヤバいポイント三つ。
— milkyseas (@milky_seas39) September 7, 2026
①ジョンの声が戻ってきてる。所々ほんの一瞬だけど昔の声に戻ってる!😭
②ウェンブリーのアーチの美しさよ😭
③それを撮影した自分と自分のオーオーの声に泣いている😭
フル→https://t.co/KvzYPyo6mp#TheseDays#BonJovi #Wembley pic.twitter.com/4tr3qoL6Mt
いつの間にか空には夜の帳が下りていた。
ジョンの帰還を静かに見下ろす、アーチの美しさよ。
このXポストはホテルで投稿したものだ。
帰って来た頃はもう日付が変わっていた。
ホテルの部屋で動画を再生して、止めどなく涙が込み上げてきた。
私がボン・ジョヴィの曲の中で
宝物のように大切にしている曲
These Days
エンディングでマイクスタンドを持ち上げ、最後はマイクが客席に向いてないのに何度も万歳をしていた。
ジョンは嬉しかったんだと思う。
声が戻ってきていることを実感できた、この曲で。
ウェンブリーでThese Daysを歌える幸せ。
悔が残らぬよう、力いっぱい歌った。
13. It’s My Life
なんとまさかのディビッドがお手つき😆
次の Livin’ On A Prayer のイントロへ飛んでしまいました。
ジョンがディビッドと口にしたから勘違いしたのかな。
4日はティコが2曲目に勘違いをして We Weren’t Born to Follow のイントロを始めてしまい、他のメンバーはセトリ通り Beautiful Drug を演奏してしまうというアクシデントがあったばかりでした。
音が重なって違和感、すぐに修正されましたけどね!
ティコに続いたディビッド。
こういうのがあるからライブは楽しい。
会場から1マイル離れた所で録画されたこの日のIt’s My Lifeが、インスタグラムに投稿されていました。
アーチの架かる夜空を見上げながら、どこまで私たちの声は聞こえているんだろうと思っていました。
感動…そしてシェアしてくれたことに感謝です。
credit to @wembleywandering
Bon Jovi at Wembley Stadium 06.09.26. Show two out of a three day “Forever” tour at Wembley. The crowd sings along to “It’s my life”. Recorded from a mile away!

14. Livin’ On A Prayer
実はこの曲、MSGでおもしろい現象を見せていた。
演奏時間が初日から30秒ずつ伸びていたのだ。
①日目5:37→②日目6:00→③日目6:35。
3日目にはクロージングを引っ張りまくるジョンに食らいつくオーディエンスに、いつもの風景が戻ってきたと、これは誰もが感じていたことだろう。
バンドの代名詞、最大ヒット曲
Livin’ On A Prayer
Pray=祈るという単語を知ったのはこの曲だった。
そして今から14年前、私が作った最初のTwitterのアカウント、ここで暴露するがボン・ジョヴィ垢でした。
その時のアカウント名にこの曲の主人公のひとり“Gina”…Tommyのために一日中レストランで働く彼女の名前を使わせてもらった。
生きづらい社会に負けじと、今手にあるものを手放さずお互いの存在だけを信じて生き抜こう。
信じ続ければきっと明るい未来はやってくる=Livin’ On A Prayerという、頑張る人たちすべてに捧げるこの曲はアンセム的存在だ。
いつの時代にも、どんな世代にも
歌い繋がれていく曲であってほしい。
そんな願いも込められた9万人の大合唱は
ロンドンの漆黒の夜空へ散らばっていった。
15. Raise Your Hands
びっくりするくらい歌えてる!
日に日に変わっていく勢いが止まらない。
ウェンブリー初日のこの曲を聴くとその変化はさらによくわかる。
その表情から彼の心境を勝手に妄想してみると、もう少しで声が戻りそうだ、もうそこまで来ているという気持ちが、マイクに向かう姿からひしひしと伝わってきた初日。
そこから二日後でこの仕上がり具合いはもう満点だろう。
喉のつっかえが取れたかのような安定感。
満面の笑顔いっぱいに、もう大丈夫だ、行ける!という自信が満ち溢れていた。
力強くはっきりと聞こえてきた“TOKYO!!”の先には、日本のステージを見据えていたと信じたい。
MSG7日目からリストインされた大好きな曲。
ツアーが始まった頃はセトリになかったが、UKのスタジアムツアーに向けてこの曲とCaptain Crashはどこかのタイミングで入れ込んで来るのではと、願望も込めて予想していた。
(Captain Crashは最終日にTour Debutしている)
余談になるが、曲の中で好きなシーンがある。
それ見たさにこの曲が聴きたいと言った方が、正しいかもしれない。
2コーラス目から間奏に入る前にジョンが後ろを向き、腰をくくっとひねる、ここがたまらん😍
2:54の辺り、一瞬ですがスクリーンカメラが抜いてくれました!
16. I’ll Sleep When I’m Dead
最初の2分間、お馴染みの小劇場?の始まり~
必ずダメ出し、というかダメ出し欲しさに最初の“ワーン”はわざとフェードアウトするオーディエンス😂
Sleepのワン、ツーをウェンブリーでやってくる!と私は友人に言ってロンドンに旅立った。
いや、やりたかったのは私たちだけではない。
曲のひとコマひとコマにいつもの風景が戻って来るたびに、これまでの辛かった日々が遠い過去のものとなり、時間は未来へと加速していく。
以前ジョンはこの曲でエレキを弾いていた。
レスポールを持ち出すと、Sleepか?Runaway?とワクワクしたものだ。
リッチーとお揃いのゴールドトップのレスポールの時もあったっけ。
それも遠い過去の話だ。
17. Hey God
ウェンブリーに心があるとすれば、懐かしく思い出しているだろう、95年のあの夜を。
ステージの床にひざまづき天を仰いだその先に、あの日の夜空が彼には見えていただろうか。
ひとつのけじめとして、自分が復帰したことをウェンブリーに告げるためでもあったかもしれない。
いつ、どのタイミングで決めたのか、どんな気持ちでリハーサルをしていたのだろう。
ただ歌えるようになるだけが復帰ではない。
これまで築き上げてきたバンドの歴史も再現できなければ、それは復帰とは呼べない。
ボン・ジョヴィとともに年を重ねてきたファンと、そしてバンドが歴史を刻んできた各国各地の会場がその判断を下してくれることを彼は知っていた。
世界のモンスターバンドという肩書きは、いつの時もいつの時代もボン・ジョヴィのためのものでなくてはならない。
未だに信じられないでいる。
ウェンブリーでHey Godが聴ける日が来るなんて、チケットを買った時の私は微塵もそんなことは思いつかなかった。
私のボン・ジョヴィ人生の中で一曲だけ冥途に持っていけるとしたら、このウェンブリーのHey Godをお願いしようと思う。
18. Keep The Faith
私の座右の銘 Keep The Faith
“信念を貫け”
ジョンの生きざまそのものだ。
5作目のスタジオアルバム『Keep The Faith』がリリースされた92年には、80年代に活躍した多くのバンドが低迷期を迎え、ハードロック衰退の危機に直面していた厳しい時代背景があった。
ボン・ジョヴィも例外ではなく、繰り返してきた過酷なツアーの疲れやレーベル会社への不満、不信感からバンドは解散の危機に立たされ、ジョンがソロ活動へと散らばったメンバーを再集結させ、再起を賭けて生み出されたのがこのアルバムだった。
それまでにはなかった重いシリアスなテーマと直面した、社会的な色濃い作風は次のアルバム『These Days』へと続いた。
暗い影を落とした90年代の2枚のアルバムだったが、ファンには(私も含め)この2枚の支持者は多い。
どんなバンドにも危機的な時期はあり、そこから社会的なテーマの作品へ繋がるパターンを経験することは珍しいことではない。
そんな時代を乗り越えたからこそ“It’s My Life”のような超前向きな自分への応援歌、アンセムが生まれたのだろう。
違う意味で“Keep The Faith”も立派なアンセム、自分たちが乗り越えてきた道のりを忘れないためにも、セットリストから外さず歌い続けている、そんな気がする。
余談になるが、この動画に映っているのだが、私のすぐ目の前で大きめなカメラを持った人がお立ち台に上がり、客席をぐるりと撮影していた。
報道関係者だろうか、わからないが謎のできごとでした。
Encore:
19. I’ll Be There For You
帰りの機内で涙が止まらなくなったアイルビー。
飛行機の中で何これ?てなったアイルビーこれ。
— milkyseas (@milky_seas39) September 8, 2026
ここ聴いてほしい。goodbyeのbye、rivers、tearsのとこ、なにこれ?てならん?え、ちゃんと歌えてるやんどうしたん!!😭てなるよね。これ紛れもないジョンのアイルビー戻ってきた!!てそりゃ飛行機の中で号泣するよ😭😭
フル→https://t.co/wivNH4cxaB pic.twitter.com/UCzgQRySMi
私がごちゃごちゃ言わなくてももうね、本人がいちばんよくわかってる。
人の細胞ってすごい。
移植した片方の声帯の細胞が分裂を繰り返し、ちゃんとジョンの声帯に成長しているってことだよね。
スタジアムが教えてくれた。
こうやって歌ってたよねって、ジョンの細胞に思い出させてくれたってこと。
そしてもうひとつ、ここで大事なことを言っておかなくてはならない。
フィルXの存在だ。
リッチー・サンボラがいなくなって、その姿を変えた曲はいくつもある。
譜面通りギターが弾けて、コーラスがそこそこできれば代役ができるレベルのバンドではないことを承知の上で、13年前フィルはジョンからのオファーを承諾した。
迷っていたフィルを見て、“わかった、もっと金をやれ”と言ったジョンの生々しいエピソードがつい最近明らかになっている。
amass.jp 2026/01/06付
ボン・ジョヴィのフィル・Xボン・ジョヴィ加入の舞台裏を語る
多くのファンは、リッチーの復帰を待っていた。
彼のいないボン・ジョヴィはボン・ジョヴィじゃない…離脱した2013年の来日で私もそう感じたことは事実であり、その気持ちは13年間変わることはなかった。
フィルがいなければバンドの存続はかなりの確率で難しかっただろう。
もちろん感謝はしていたが、彼の存在をどうしても受け入れることができなかった自分を、どうすることもできなかったのだ。
そんな中で迎えた今回の復帰ツアー。
MSGのステージを追う中で、私の目に映るフィルの姿にある違和感を感じた。
ジョンへの寄り添い方があまりにも優しく、そしてバンドを引っ張って行こうという姿勢が、時にはジョンより前のめりになるほど前線に躍り出ていた。
こんなにステージの上で動き回る人ではなかった。
こんなに笑う人ではなかったはずだ、私の記憶の中では。
そして涙腺をさらに崩壊させたのは、アイルビーの2コーラス目、ジョンのヴォーカルを追いかけるフィルのパート、それまではこのパートは私の中ではいつもリッチーの歌声だった。
ところが、初めて、ほんとに今までフィルごめんだけど、彼の声がすーっと心に沁み込んできたのだ。
彼の位置づけは、すっかり形を変えていた。
ジョンを支えバンドの一つの歯車へと。
そして彼の声とギターは初めて私の心に届いた、何の違和感もなく。
そんな心内をXでポストしたら、海外のファンの方からリプをいただいた。
“I said the same thing, this is the first Bon Jovi show where I didn’t miss Sambora, and the best Bon Jovi show since 2011.”
“サンボラを恋しいと思わなかった初めてのコンサート、2011年以来の最高のshowだった”
多くのファンが長い間抱えてきたリッチーの呪縛は、ようやく解かれようとしていた。
それぞれの想いを抱えたBon Joviファンが世界中から集まった今回のツアー。
そんなことも会場の一体感を生み出した要因のような気がする。
20. Wanted Dead or Alive
アンコールに入ってからぐんぐん声が出るようになってきてる。
特に高音の安定感と伸びがすごい。
どの曲も大合唱にいは違いないけど、これもみんな大好きアンコールの定番。
9万人のコーラス担当にお任せくださいって感じですね🥹
21. Bad Medicine
長い、、、尺が長い!
この曲は6分30秒から7分で収まっていたはずだ。
なぜ8分30秒もあるんだ!!
恐らくGジャンを脱ぐのに2分かかっていたんだろう🤣…ということにしときましょうか。
本来なら客席に下りたジョンが戻ってきてクロージング←ここで7分以内。
ところがこの日はゆっくりと階段を上り、ステージに戻り、Gジャンを脱ぎ捨てる(この脱ぎ方どうなん?と一応ツッコんでおく)、この時点で異様な空気を感じとったバックに緊張が走る。
だって殿のお戻りが遅いから、客席から煽られたディビッドもたじたじですわ🤣
クロージング客席でするんかい!ってなるよね笑
これ、これなんだよ。
待っていたのはこのジョンなんだよぉ!!
先の展開が読めない、暴走するジョンに付いていくしかないバンドとオーディエンス。
これでこそジョンの真骨頂なのだ。
この日が全14公演中の肝だと私がXで呟いた最大の裏付けはここにある。
歌声が戻ってきただけじゃない。
Jon Bon Joviが戻ってきた、歌声は昔のようでなくとも彼は完全にステージに返り咲き、スタジアムを且つてのように我が物顔で制覇していた。
誰がなんと言おうと私の目に映ったのは、完全復活以外の何ものでもない。
彼の見つめる先に、来年のツアーがはっきりと確信できたのはこの日だったと私は思う。
そして大きな山場は、体調不良のため途中キャンセルになったMSG8日目だった。
キャンセルから三日後、MSG最終日のこの曲でパーカッションのEverett Bradleyがヴォーカルに飛び入り参加した。
見る限りは飛び入りのように見えた…ジョンは心強かったに違いない。
そこからエヴェレットのヴォーカル参加は続いている。
ジョンとの付き合いは古く、97年のソロアルバム『Destination Anywhere』の頃からになる。
優れた歌唱力、演奏、パフォーマンスで2016年からは継続的にツアーに同行、バンドを長きにわたりサポートしてくれており、アルバム『FOREVER』のタイミングで正式なメンバーとなっている。
当たり前のことだが、ジョンひとりの力ではここまで来れなかった。
ボン・ジョヴィの歴史に刻まれたこの瞬間を見届けることができたこと、長いBJファン人生の中でここが頂点、そしてもっと高みの景色を見させてくれるはずだ、この7人なら。
Encore:2
22. Always
悲願のAlways。
来日公演でこの曲を聴ける確率は1パーセントもないだろう、生きてる間にこの曲が聴けることはもうないと思っていた。
かと言って海外へ遠征してまでライブを観に行くなんて、私には到底無理な話だと何もやらないうちから諦めていた以前の私。
初めて聴いたAlwaysが、そこがWembleyなんてことがあっていいのだろうか。
ひとりで飛行機に乗れなかった自分が、ひとりWembleyの赤い椅子に座っていることが最後まで夢のようだった。
4年前、このアーチを向こう側から見上げていた自分の姿を思い浮かべた。
夢は叶えるためにあるものだと、その時の私に言ってあげたい。
7月にニューヨークからスタートした『FOREVER TOUR』
MSG連続9公演は、8日目がジョンの体調不良のため、途中で中止(振替公演なし)となったが、とてつもないプレッシャーと闘いながらも最終日まで辿り着いた。
その頃ニューヨークでウィルス性の感染症が蔓延しており、バンド内の関係者にも罹患者が発生していたことが後に明らかとなった。
彼の体調不良は副鼻腔炎のため、喉とは関係ないと後日言及していた。
昔のように歌えていない、復帰には無理があるとそんな言葉も聞こえてきた。
過去のボン・ジョヴィを知っているファンであれば、それは思うところもあるだろう。
彼の全盛期はそれだけ華々しい時代だった。
そんな時代とはかけ離れた現実を受け入れ、大きな決断をし、一日も欠かさずリハビリを続け復帰を目指した日々。
先が見えず、彼にとっては永遠に感じられた時もあったかもしれない。
そんな心の内を語ったインタビューがある。
2024年4月『サンデータイムズ』紙のインタビューで、”完全に回復しなければライヴを二度とやらないことを考えている”と赤裸々に語っている。
同年6月に通算16作目のアルバム『FOREVER』のリリースを控えていたが、アルバムを制作しながらも毎日ヴォーカルレッスンのセラピーに通っている状態だった。
スタジオとツアーに出るのでは大きな違いがある、という彼の言葉に、復帰への大きな壁を感じた。
“一週間に4日、毎晩2時間半に及ぶライブをやりたいよ”という言葉の中に、彼自身がステージに立つ明確なボーダーラインに1ミリの妥協もなかったことが伺える。
いかにもジョンらしいと思った。
ゼロか100しかない、いつも彼の中には。
nme-jp 2024.04.15
”ボン・ジョヴィ、喉の手術のため二度とライヴをやらない可能性について改めて語る”
MSGに、Wembleyに立つに相応しいボンジョヴィになって戻ってくると信じ、ツアー発表と同時に私はチケットを買った。
それが間違いでなかったことはツアー開幕の日に証明された。
いつの時もそうだが、彼が決めたことを尊重し、信じて応援していく。
喜びも苦しみも受け入れ、倒れるときは共倒れするだけだ。
彼が再びステージに立てると判断したその基準は彼の中にある。
誰も彼をジャッジする権利はない。
正直に言ってしまうと、もちろん復帰を信じていたことは確かだが、ひとつの懸念があったことも私自身否定できない。
MSG連続9公演の日程が過密だったことが、その懸念材料だった。
内容的に少しは加減してくるのかと思っていたが、蓋を開けてみれば初日から21曲、2時間20分の枠、このペースで日程をこなしていくということに一抹の不安を感じ、最悪UKツアーがなくなる可能性もあるのではないかと…そんなことも頭をかすめた。
しかしそんな不安はすぐに打ち消された。
初日はさすがに緊張もあっただろう、声が出ているとは言い難かったが、二日目にいきなりパワーアップしていることに驚いたというより、ジョンが只者じゃないことを忘れていた自分を深く反省。
あ、そうか、そうよね、ゼロか100しかないあのジョンだった…そりゃこの日程になるよねと納得。
いくつもの過酷なツアーを経験してきた彼が、乗り切る術を忘れるわけがない。
そして復活の明暗を分けた大きなきっかけとなったのは、やはりこの曲なくしては語れない。
MSG3日目にリストインした Always だ。
ファンにとって特別な存在、多くのファンに溺愛されてきた名曲。
実はAlwaysは、最初からこの日のセトリに組み込まれていた曲ではなかった。
Audibleとして用意されていた予備曲だったことが判明している。
Xから @redbankbj さんの貴重なポストをお借りしました。
credit to redbank(for BON JOVI information)
BON JOVI、MSG公演3日目セットリスト
— redbank(for BON JOVI information) (@redbankbj) July 15, 2026
ラストに披露されたAlwaysはAudibleだったんですね。ジョンがいける!と判断したのでしょうか
Always、4公演目では正式にセットリスト入りしたようです#BonJovi#ボン・ジョヴィhttps://t.co/H4qdEorn0S
私も当初AlwaysはAudibleではないかと思っていた。
それを確かめる材料がほしかった私の前に、redbankさんのポストがタイムリーに流れてきた。
ジョンのこれまでのセトリの組み方を見てきて、復帰ツアーというこの状況で最初からこの曲を組み込むことは考えにくかった。
Alwaysは予備曲としてセトリの隅に鎮座していることが多かったからだ。
(Audibleとは予備曲として何曲か用意されているもので、ジョンのセトリにはだいたいAudibleがあり、矢印などが書き込まれていることもあったり、曲変更があるとここから入れ替えられたという形跡を追うことができた。)
後半 Lay Your Hands on Me の次曲 Blood on Blood を外していることから、この時点で行ける、行く、と判断したに違いない。
Alwaysが行けるなら外すのはBloodだと、そこは予め決めていたのだろう。
3日目のタイミングで彼らしいセトリの操作に、ステージにジョンが戻ってきた!と感じずにはいられなかった。
ここから彼の快進撃は続いた。
もちろん昔と同じようには歌えてはいない。
しかし徐々にステージ勘が戻っていることに、私は日に日に手ごたえを感じていた。
全盛期の歌唱を目指すのではなく、今の喉で発することができる音を駆使し、ボン・ジョヴィの楽曲にまた新たな世界を見い出す。
変化することを恐れず、それが紛れもなくバンドの神髄を守っているものであれば、BON JOVIの歴史は続いていくのだ。
以前のようには歌えていない自分を肯定することができていると感じたのは、やはりこの曲の力、会場の大合唱に包まれたファンの大切なAlwaysがまた新たな居場所を見つけた、まさに歴史的瞬間だった。
貪欲に生きる姿勢、信念を貫く“Keep The Faith”の精神は何も変わっていなかった。
声は変わっても、私たちの信じるJon Bon Joviは何ひとつ変わっていなかったのだ。
私はアダム・ランバートの音楽人生を追ったブログをこのサイトで書いているが、何度も口にしてきた言葉を思い出した。
“神さまは越えられない人の前に壁は作らない”
ジョンならきっと越えられるはずだと、神さまは壁を作られた。
乗り越えた先の道は未来へと続いている。
じゃあなぜ壁を作るのか。
それは選ばれた人間だからだと私は解釈している。
彼は一度自分の声を失った。
そこからの生還。
誰もが経験することではないからこそ
得るものは大きい。
人は奇跡を起こす。
最先端の技術や科学、テクノロジーの発展は人類の可能性を拡げてきた。
しかし最後に奇跡を起こすのは神でもAIでもなく、生身の人間の力だ。
音楽が起こした奇跡をこれまで何度も見てきた。
14歳の時に洋楽に出合い支えられてきた自分の人生―そこにライブは不可欠だった。
コンサートに行くという行為は目的でもあり、手段でもある。
推しに会いたい、歌声を聴きたい、いっしょに歌いたい…これは目的だが、そのステージに立つ彼らの生きざまを感じることもできる、そのための手段でもあるんだとウェンブリーを体感して気づいた。
同じ空間、時間をともにすることで彼らの人生のほんの一部だが共有できることは、ライブだからできること。
priceless memories
お金には代えられない、かけがえのない経験。
それは半世紀の音楽人生が教えてくれた、この世でいちばん尊いものだ。
飛行機の窓から見える地球は丸いということを、空は繋がっているということを教えてくれた彼らに、今心から感謝している。

最後に、ジョンがインスタグラムに投稿したストーリーを置いておきます。
公式からアップされた写真の中から、この一枚を彼が選んだものです。
彼を長年支えてくれた、13年前リッチー・サンボラがバンドを去ってからも共に苦難を乗り越えてきたティコ・トーレスとディビッド・ブライアン。
ふたりに心からありがとうを言いたい。


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