2014北米ツアーも無事終わり一段落したので今日はこのお話をしたいと思います。
(アダム、もう時効だからね。余罪があってももう遅いよ!)
先日【セットリスト(12)】2014/7/26─ロジャー65回目のバースデーの最後でチラッと告知した“Somebody To Love”についての、ある変化があったというお話です。
※ご参考までに
細かい話になりますが最後までお読みいただけたら嬉しいです。(わからん!ていうとこはどうぞスルーしてもらって構いません_(..)_)
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今年2020年1月のクイーン来日を記念してユニバーサル・ミュージックにより特別企画された日本が選ぶ究極のベストアルバム「グレイテスト・ヒッツ・イン・ジャパン」。
日本のファン投票により選ばれた上位12曲が収録された。その中の映えある1位に輝いた曲がこの「Somebody To Love」だ。
投票結果 (アルバム収録曲)
※上記こちらから抜粋。13位以下もこちらに記載あり。↓
この曲、Queen+Adam Lambertが結成され、初ツアー初日ウクライナ・キエフ公演で披露されて以降現在までの8年間、私の把握内ではセットリストから外れたのはたった1度だけだ。
2014年初来日となったサマーソニック東京公演でリストアウトされたが、これは構成上意図的なものであったはず。
私が把握している数が正しければ2012年からの8年間全228公演中、227回歌われている不動の定番曲。
曲が始まる前のお決まりトークからアダムがオーディエンスにけしかける“love~”を歌う(叫ぶ!)最後のお楽しみまで思う存分堪能できる人気曲だ。
今では当たり前のようにオーディエンスが歌っている最後の“love~”
と、ふとある疑問が頭をよぎった。
“最初からそうだったのか?”
いつものことだ。この“ふと”がいつもぬかるみにはまってくサインだ。
軽い気持ちで、試しに2012年ツアーの初日キエフ公演を確かめてみる。普通に、ごくごく普通にアダムがひとりで歌っていた。
ふーん…
“じゃあさーいつから?
何かきっかけがあったわけ?
どこ?どこが境目!?”
一旦気になりだすと白黒はっきりさせたくなる私のやっかいな血が騒ぎだした。
別にこれを追求したところでクイーンの、アダムの歴史が変わるわけでもなく、どう考えても手間だけがかかる面倒な作業になるだけだ。
“やめとけ!めんどくさいだけだ。”ともうひとりの私が止めにかかる。
「love」はいつから私たちのものになったのか─ただそれが知りたかった、だけ。
答えを出したらところで、それはただの私の自己満足─それでいい、いつものことだ。
私のこのブログの揺るがない主旨“記録”としてここに残しておこうと思う。
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まず最初に記しておきたいことは曲ラスト「love」の歌い方には「3パターン」あるということだ。(いきなりめんどくさいよねーすみません💦)
Aパターン→アダムのみ
Bパターン→オーディエンス→アダム
Cパターン→オーディエンスのみ
簡単に説明するとAパターンはアダムが普通にひとりで歌う。
Bパターンはまずオーディエンスにけしかけ、歌わせてからアダムも改めてもう一度歌う。この時、手を“So-so”とひるがえして“違うんだなあ…こう歌うのさ!”的に自分がお手本を見せたりする感じ。
そしてCパターンはオーディエンスをあおり、歌わせ、自分はもう歌わずそのまま“find me~find me~”にシフトしていくパターン。
この3パターンをそれぞれの最初と最後の日を抜粋して、時系列に並べてみますね
おつき合いよろしくお願いします!
◆Aパターン(最初)
・2012/6/30 ウクライナ・キエフ公演
アダムとのクイーン結成後の初ツアー、2012年ヨーロッパツアー初日、“ごくごく普通に歌っている”キエフ公演がこちら!
※3分00秒くらい~
↓
◆Aパターン(最後)
2014年北米ツアー、上記の2012年キエフ公演から通算公演回数23日目にして、意外と早い時期にAパターンの終わりを迎えることになりました。
・2014/7/17 NY-MSG公演(ツアー17日目)
※3分00秒~
↓
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◆Bパターン(未確定)
こちら前途Aパターン最後と記したその2日後、7/19アンカスビル公演(day1)、この辺りが微妙な期間なんですよね…。
AパターンかBパターンか判断に迷うのですが、Bに近いのでBパターン(未確定)と判断しました。
この微妙な日が、そうブライアンの誕生日。
アダムにとっては初のメンバーの誕生日とあって終始ご機嫌でしたから、少なからずその影響がありBパターンになりかけたのかなあ、とも考えられます。
↓
・2014/7/19 アンカスビル公演(day1)
※3分50秒~
※ライブレポートあり
◆Bパターン(未確定)
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◆Bパターン(確定)
・7/20ワシントンD.C.公演
ブライアンの誕生日翌日、真夏のワシントンD.C.での屋外での公演でしたが、暑さと解放感でアダムのテンションはかなりハイでした。口数多かったしね。
そのテンションのせいか、オーディエンスをあおるのも勢いづいた!ってことの結果でしょうか。
Bパターン確定と判断しました。
※4分00秒~
※ライブレポートあり
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そしてここでポイントがひとつ。
Bパターンは微妙な段階を踏んでいる、ということです。
上記の7/20ワシントンDC公演Bパターン確定、にはなりましたが、オーディエンスへのあおり具合がまだまだな感じがします。この状態が7/25アンカスビル公演(day2)まで4回続きます。
◆Bパターン(確立)
そして続く7/26アトランティックシティ公演。アダムの歌い方に変化があったと記したあの日です。
この日はロジャーの誕生日、アダムは絶好調、どうした?っていうくらいハイテンションでした。
この動画を見ると、ぐっと今のアダムに近づいてきた印象があります。
オーディエンスを見つめる姿に何かを悟ったかのような満ち満ちたエネルギーを感じます。
この変化はアダムだけでなくブライアンにまで波及しているように感じました。
いつもと違うアダムの変化を感じとり、ブライアンの表情、ギターにもそれが表れています。
この表情のあと何度もうなずく姿がとても印象的。(9分あたり)
↓2014/7/26 アトランティックシティ公演
※7分30秒~
※ライブレポートあり
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そんなひとつの節目があったその後、初来日のアジアツアー、オセアニアツアーを終え、カウントダウンライブで年を越します。
そして翌2015年1月からヨーロッパツアーが始まり、Bパターンが2月末まで44公演に渡り続きます。
この間を時系列に見ていくと、オーディエンスにもどんどん「love」を歌いたい、歌うんだ、という意識が高まってきたとことが感じとれます。
そして2015ヨーロッパツアー千秋楽となった
2015/2/27シェフィールド公演がBパターン最後の日となりました。
この頃にはオーディエンスがもうはっきりと“love〰️!”と歌っているのがわかります。
◆Bパターン(最後)
※3分40秒~
なぜここで終わったのか。
この2015年ヨーロッパツアーの最終日でBパターンが終わった背景には、アダムにとってあるひとつの大きな出来事がありました。
ツアー中盤を過ぎた2015年2月8日、ベルギー・ブリュッセル公演が自らの体調不良のため、当日、突然の公演中止。(このことについては、またツアーを追いながら詳しく触れたいと思います。)
この公演中止の日を境にアダムは変わった、と私は感じています。ここから今のアダムに通じる道しるべができたような、そんな気がしています。
そんな出来事が、「love」の歌い方を変えたかどうかはわかりません。
が、自分の立ち位置を再確認したアダムにとって、ファンの存在の重みは大きかったと思います。
そんな思いが自然に「love」を手放すきっかけになったのかもしれません…。
公演中止の日からこの最終日まではきっと長かっただろうなあと思います。
※ライブレポートあり
◆Bパターン(最後)
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そして波乱の2015年ヨーロッパツアーを終え、9月から南米ツアーを開始。
ツアー初日2015/9/16ブラジル・サンパウロ公演、その日は突然やってきました。
遂に最終型へ。
◆Cパターン
↓
・2015/9/16 ブラジル・サンパウロ公演
※3分00秒~
終盤途中で水分を口にしたアダム。
佳境に入るこのタイミングではまず見ることのない光景だ。異様な落ち着きを見せるアダムにステージ全体に緊張感が走る。
この日が特別な日になることを皆が感じとっていた。
ツアー初日ブラジル・サンパウロ公演で初めて自らの「love」を封じ込め、“Somebody To Love”のラストの「love」を私たちだけのものにしてくれたアダム。
その後、2016年アジアツアーなどではまだ浸透していなかったからか、オーディエンスの反応が薄いときは自ら2回目の「love」を歌うパターンも時折ありましたが、翌年2017北米ツアーからは完成型となっています。
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曲は人の手を離れて初めて命が吹き込まれると思っています。
命が吹き込まれる=心に届くということです。
それは必ずしも一度きりとは限らないのではないか、と最近思えてきた。
最初にフレディの手を離れて私たちの元にやってきた“Somebody To Love”。
灯火は一度消えたがそこにまた新たな命が吹き込まれ、違う色で輝きはじめる。
ひとつの曲がいくつもの色を持ってもいいのではないか、それが尊ければ必ず人の心に届く。
そう教えてくれたのがアダムだった。
“Somebody To Love”の私の再生リストには91本の動画が収められている。
閲覧して流していったものを含めれば、100は超えるだろう。
100本のそれぞれは決して同じではない。
100あれば100通りの“Somebody To Love”がある。
クイーンとアダムが紡いできた確かな道筋がそこにある。
私が知りたかったのはその道筋だったのかもしれない、と今思う。
長くてややこしいお話、最後までおつき合いいただきありがとうございました。
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