【セットリスト(150)】2024/2/4 震撼の幕開けー初日ナゴヤ公演


今日も輝けるひとつの海をのぞいてくださり
ありがとうございます。




いよいよスタートしました。
11日間のジャパンツアー2024


私が遠征に向け出発したのは2月2日。
いきなりですがこちらは私の簡単な全行程表。

2/2 自宅→仙台へ移動 路線バス
仙台港→名古屋港 太平洋フェリーにて船内泊
2/3 名古屋着
2/4 名古屋公演 バンテリンドーム ナゴヤ
2/5~7 親戚宅に滞在
2/7 大阪へ移動 私鉄電車
大阪公演 京セラドーム大阪
2/8 大阪→敦賀(福井)へ移動 JR
敦賀港→苫小牧港 新日本海フェリーにて船内泊
2/9 苫小牧港→札幌 路線バス+JR
2/10 札幌公演 札幌ドーム
2/11 札幌→苫小牧へ移動 路線バス
苫小牧港→仙台港 太平洋フェリーにて船内泊
2/12 仙台→東京へ移動 新幹線
2/13 東京公演 day1 東京ドーム
2/14 東京公演 day2 東京ドーム
2/15 東京より帰路へ 新幹線+JR+路線バス





北米で散財していたのでとにかく徹底して節約

札幌行きの天候のリスクもあったので、欠航が比較的少ないフェリーでの移動を3回組み込んだ。
新幹線を初めて使ったのは最終東京に向けてのタイミング、そこまでの約10日間は路線バス、ローカル列車、フェリーのみの移動。

フェリーは移動と宿泊がセットで破格のお値段
今回日程に余裕があったことも吉と出て、当初の予算の半分程で収まった。


太平洋フェリーの詳細をXにポストしました。

フェリーなのでもちろん車での乗り入れもOK。
部屋はカプセルのような簡易的な個室からスイートルームまでピンキリ、ペット同伴可能なお部屋もあります。
日程に余裕があって節約旅したい、少し日常を離れて癒されたいって方にはおススメです。




https://twitter.com/milky_seas39/statuses/1753587379024339031




ご存じの方も多いと思いますが、出発当日仙台駅でバスから降りる際に転倒。
首から下全身(前面)打撲と両膝を負傷し、命からがら😭フェリーターミナルまでたどり着きました。
時間に余裕がなく次の乗り継ぎのことを考えていたせいで、歩道の縁石に気づかなかったのが原因だったかなと思います。

フェリーには医師は常駐しておらず医務室もありませんでしたが、乗船してすぐにインフォメーションで消毒などの応急処置をしていただけました。
その日の夜には楽しみにしていたバイキングをお腹いっぱい堪能。

ところが就寝の頃に膝の腫れがひどくなってしまい、再びインフォメーションの方にお世話になることに。
氷を用意していただき冷すことができたので、大事には至りませんでした。

翌日下船前にはクルーの方が“大丈夫でしたか?”と声を掛けてくださり、本当に終始お世話になり思い出深い船の旅となりました。

そしてこれだけでは終わらない
船の珍道中、、、😱

札幌への移動の新日本海フェリーでの出来事。

敦賀港を午前零時過ぎに出港したその後、深夜2時前という時間帯。
大浴場を利用したのですが、表の入り口付近に固定されていた防火扉を前の方が閉めて帰ってしまったため開かなくなり、まさかの風呂場(脱衣場)に閉じ込められるという事件が発生。
私は最後の入浴客でした。

持っていた携帯で船会社と連絡を取ろうと試みましたが繋がらず、Wi-Fiの時間制限もかかってきたので止む無くXに投稿😭

夜中にも関わらずすぐにタイムラインで拾っていただき、“警察か?”“いや、最悪の場合海上保安庁にメール?”とリプ欄が物々しくなり💦
その間閉じ込められた防火扉を叩き続けていたら、ようやく気づいてもらうことができ救出されました。

いつもいつもお騒がせして本当に申し訳ございません🙇‍♀️
トラブルなく普通に旅をすることはできないのか‼
と思うのですが何故か珍事件が起こってしまう…

改めましてツアー参戦中
Xで私の動き(=珍道中😇)を追っていただき
見守ってくださいました皆様に
心よりお礼申し上げます。





2月3日 愛知県伊良湖岬沖
日の出時刻 午前6時47分

強風で飛ばされそうなくらい寒かったですが
甲板から見る日の出は格別でした

この朝日をアダムも今浴びているんだなあと
いよいよツアーが始まるんだと
ようやく実感をかみしめた海の上でした








では会場の紹介をしてから本編に移りますね。




初日名古屋の会場は「ナゴヤドーム」
(バンテリンドーム ナゴヤ)

※当日のコンディション(名古屋)
天候 晴
最高気温 14.1℃(14:30)
最低気温 5.5℃(4:50)
降水量 0
最大風速 5.6m/s(16:40)




2月4日当日のナゴヤドーム ナゴヤドーム前矢田駅方面からの眺め




ナゴヤドームはプロ野球(セ・リーグ)の中日ドラゴンズ本拠地の専用球場として使用している。

1994年8月より三菱重工業大幸工場の跡地で建設を着工、1997年に完工。中川区にあったナゴヤ球場(旧・中日球場)に代わる中日ドラゴンズの本拠地として開場した。

球場名はナゴヤ球場の表記に倣い、カタカナの「ナゴヤドーム」となった。
これについて公式ページでは片仮名でナゴヤを書くと八画となって縁起がいいこと、また幅広い年代から親しまれることを願うと説明している。

2020年12月には開場以来初となる命名権を興和が取得。名称が「バンテリンドーム ナゴヤ」契約期間は2021年1月から5年間

収容人数は野球での使用時は36627人
コンサート開催時35,000~40,000人の動員数となる。

略記される場合、中日二軍の本拠地ナゴヤ球場との混同を避けるため、ナゴヤ球場の略記として使われてきた「ナゴヤ」ではなく「ナゴド」「ナゴヤD」とされることが多い。
(Wikipediaより拝借)


海外アーティストの来日でよく耳にするのが
“名古屋飛ばし”

乗りが悪いとかよく言われますが、名古屋のある中部圏からは東京、大阪への移動が便利であるため集客の分散を避けるため、というのが残念ながら理にかなった説かなと思います。

ナゴヤドームは名古屋駅から複数路線の移動ができ、最寄りのナゴヤドーム前矢場駅からは屋根付きの連絡通路があり、近くに商業施設もあるので立地としては悪くないという印象です。

個人的には地元であるため日帰り可能な圏内だったので、名古屋が組み込まれると得した気分でした。
私のイメージとしては名古屋開催の来日組のコンサートは思い出に残るものが多かったです。





さていよいよ会場内へ入場。

ワクワク感が止まらないツアー初日。
ここから起こる数々の衝撃を
その時は想像すらしていなかった私。

通路入り口から視界が開けた瞬間
まず最初の“なんじゃこれ😱”

北米のイメージのままだった私の脳内は
完全に裏切られた感(もちろんいい意味)


ステージは
攻めの一手、ジャパンツアー仕様に

様変わりしていた。







今回の日本仕様のステージと北米を比べてみます。




ジャパンツアー2024 02/04 名古屋 ナゴヤドーム




北米ツアー2023 11/2 ダラス American Airline Center




ジャパンツアーの赤枠で抜いた残りの中央部分
ここが北米ツアーの設置部分全容に当てはまる。

変更の要因のひとつは会場の形状の違いだろう。

QALが使用する海外の会場はキャパ15,000~20,000人ほどの中規模施設。
バスケットやフットボール等のスポーツ関連の本拠地としてのアリーナが多いため、奥行きのある縦長の器がほとんどだ。
センターコートがアリーナ部分になるのでステージ幅は狭くなる。

逆に日本のドームは大容量キャパ、横長になる。
横にも縦にも広がるセンターステージを、余すとこなくふんだんに使ってやろうじゃないか!(アダムのために😭)というレジェンドの作戦=企み=親心😍の表れ(いつもの妄想です…)


こちらも特別感満載✨
RHAPSODY TOUR JAPAN 2024
のロゴが日本仕様の紋に記されている。








このまま持って帰って床の間に飾りたいww


そしてもうひとつ私が目を奪われたのは
天井を走る
鴨居のような装飾と中央に掲げられたクレスト

まるでダイヤモンドのように輝いていた。








5大ドームツアーの来日発表があった時
私は前回の来日の京セラドーム大阪を
思い出していました。

京セラドーム大阪はアダムにとって
初めてのドームでした。
はしゃいでいたアダムが
ふたりの目にはどう映ったのだろう。

日本に於けるドームツアーは
海外アーティストとしての
ひとつのステータスになっている。

5大ドームツアーはアダムが少しでも
多くの経験を積んでほしいという
ブライアンとロジャからの
プレゼントのような気がしています。




入場の興奮から忘れるところでした。
アリーナ座席図はこちら!

初日の私の座席はA11ブロック✨
レポート内での動画で
その圧巻の眺望はご確認ください😍








長らくお待たせいたしました。
(やっとでセトリ💦)

ジャパンツアー2024初日
注目のセットリストはこちらです‼

(もうセトリ150まで来た🥹)








オープニングは昨年の北米ツアーから変更なし
MachinesからHammer To Fallへのメドレー

日本限定曲
Teo Torriatte
I Was Born To Love You(二日目から移動)
はこの位置

Tie Your Mother Down
Country Blues Ver. と呼ばれているもの
QUEEN時代にも存在していたものだ。

大幅な変更点としては前半シメ前にあった
A Kind of Magic
Killer Queen(名古屋のみ)
Don’t Stop Me Now
Somebody To Love
が後半へ移動したことだ。

これは昨年北米からの変更というより
QAL始まって以来の前代未聞の位置移動となる。

※自身の動画のみの使用のため、全曲のレポではありません。ご了承ください。(それでも長いのでそこもご了承ください🥺)


それでは開演いたします!




オープニング
1. Machines(Or ‘Back To Humans’)/
Radio Ga Ga(short Ver.)
2. Hammer To Fall


念願のステージ向かって右下からのアングル。
ここからオープニングを撮るのは私の夢だった。

撮影は断然右側からがベスト。
なぜ右側なのか。

1. ブライアン側←必須項目
2. 撮影はいつも右手で行うので何かと(角度的な問題)動かしやすい。
(左手はアダムのためにフル活用😍)
3. アダムは上手袖側(向かって右側)から現れることが多いので最初の動向をキャッチしやすい。
4. Bicycle Raceが始まる直前アダムが花道に上るのはこちら側の階段から😍

ほぼアダムのためやん…
こんなウンチクはいらないよねハイハイ😅


18時19分場内暗転。
Machinesの
静止していた歯車部分が動き出す。
フレディのヴォーカルでスタート。
たぶんQALのステージを初めて観た方
4年前の黄金色のクレストを想像していた方
最初の2分で“なんじゃこれ😱”
と固まっていたのではないでしょうか。

1:57~2:04
画面中央あたり
アダムとロジャの影が薄っすらだが確認できる
アダムはマントでわかります。。。
(目を凝らして~😅)

上がるよ!上がるよぉ‼
GaGaの天井へのレーザービームを
ついつい追いかけたくなるわたくし。。。
いかんいかん!緞帳が上がってしまう
慌ててステージにカメラを戻す。

アダムの姿が見えた瞬間
ギャーッ‼とのけぞり鳥肌ブワッッッ🐔🐔🐔

4:22~
メドレーは続きブライアンが花道へ進む。
(いよいよだ…😭)
QALのオープニングは
この曲なくしては始まらない。

暗い花道をただギターを持って歩くだけで
人をこんなに興奮させる人他にいますか…
(いません‼‼)

息をのんでその瞬間を待ちます。
白いもふもふは白浮きしてわかりませんが
ブライアンのドヤ顔😆
ご想像できますよね‼
(うるさいのは撮影者だと思われます…🤪)

ブライアンがどっちを向こうかと
クルクルするのが何気にかわいい♡
おっとアダムが後ろから来るんだった!
忙しいわ!😍

ステージから歩いてきたアダムが
ポンとブライアンの背中を叩く。
その手がやさしくて…🥹

アダムはステージでプレイしている間
ブライアンやロジャの肩や背中に
よく手を回しています。
それは本人たちも気づくか気づかないくらい
ふわっと添える感じです。

たまにブライアンは
本当に危なっかしい時があるので
ガチ守る意味もあります😅

最初はふたりがアダムを守ってきたけど
いつの間にかそれは逆転していました。
頼もしく成長した“フロントマン”…と
もう呼んでもいいのかなと
私は最近思います。

オープニングのアダムを見るだけで
ステージをバンドを引っ張っていく
勢いを感じる。
それでも決して目立っているわけではなく
アダムは相変わらず自分のパートが終わると
すっと影を消す。

でも彼に任せておけば大丈夫。
揺るぎない信頼感は
フロントマンの絶対的条件。
アダムをこう呼ぶのは好きではなかったけど
今はなぜかしっくり来るんだよね。

いいんだよねこれで🥹









3. Another one Bites The Dust

サポメンのお時間でございます。。。

ニールの花道ベースソロと
ゆらゆらタイラーをお楽しみください😀

ただ…ただですね💦
被ります!
ぴったりと重なります‼
タイラーくんにブライアン先生が😓
さすがに私のアダム愛ではどうしようなく…

この曲だいたいこの辺り
オープニング後に組み込まれるのは
ウォーミングアップ的な意味があるのかなと。

アダムのお気に入りであり4分弱の単調な曲は
中盤の最初の山に差し掛かる前の
流れを整えるのに丁度いい。
1:47
アダムの脚もその内もっと上がってくるはず💦









4. I’m in Love With My Car
5. Bicycle Race(3:05~)
6. Fat Bottomed Girls(5:38~)


お待たせいたしました。
ロジャの車のお時間でございます…が💦

なのですが、、、
途中からなぜか私の手が言うことを聞かず
花道の方へ動いてしまいます。
お許しください😔

アダムのバイクはどんどん進化を続けており
とうとう一筋縄ではいかぬ
代物になってしまいました😎

クルーの方がおびただしい数のライトを
手作業で組み立ててくれてるのを
見守りたい、といつも思うのです。

1:33~
いつもいつも組み立ててくれて
アダムのわがままにおつき合いくださり
ありがとうございます
🥹


そしてアダムは花道の上手側から階段を上り
バイクの位置につきます。
暗がりですがその様子も収めました…💗
(うるさいのは撮影者だと思われます…)

3:05~
アダムが入場して上着を整えているのが確認できます。








3:24~
階段を上っていきます😍








ロジャ様の映像は冒頭から
1分30秒ほどになります…
ご了承くださませ…ごめんなさい🙇‍♀️💦

バイクのアダム
後半スクリーンを抜いてみましたが
腰クネクネはまだやってませんね😓
初日はやはり本調子になるまで
少々時間がかかるようです。

いえ、心配はご無用。
どこかで突然
ギアがググっと上がる瞬間があるはずなので
気長に待ちましょう!


Fat Bottomed Girls
この曲は前回2020年の来日時は曲数調整の為
セトリから外れてしまいました。

今回は無事復活🔥

そしてTylerファンの方
お待たせいたしました!
可愛いクルクルTylerをご用意いたしました。

7:55~
ほんの一瞬ですがリピート必須😍
(私でさえ無心にリピートを繰り返してしまいました!)
その後のゆらゆらTylerもいますよ~!

9:03~
後半ブライアンが
ギターソロのため花道へ進みますが
9:27~
映像はロジャ前のアダムにシフトします。

ここでいつも
可愛い踊りを披露してくれるのですが
やはりこの日は水分補給しただけで
目立った動きはなく…💧

でも最後にお尻ペチペチ🍑してくれました😍
アダムのギアはう~ん…
60%くらいまでは上がってきた模様⤴️
もうちょっとかかりますねぇ😳









7. I Want It All

クイーンの曲というのは次々と流れが移り変わり、その展開を楽しむワクワク感が癖になる。
最後に到達するそのクライマックスの瞬間のためにそれまでの6分間はある!みたいな曲。

冒頭のお決まりのアダムの即興はツアーによってパターンを変えてきました。
数曲目に来ることが多いので彼のその日の調子や気分を探るのも楽しみ方のひとつ。

合いの手を入れるレスぺとの絡みを伺いながらロジャが最初の合図を入れる。
三人の呼吸から6人のコーラスへシフトし曲はスタート。

4:14~
スタートして4分過ぎ
いよいよ今回の来日初のブライアンのヴォーカルが登場。
消え入るような繊細な(褒めてます🥰)
彼のヴォーカルのお披露目が終わるとギターソロ!
ここはハラハラドキドキ…きれいに決まりました。




ブライアンが花道へ進み曲はラストスパートへ。
メインステージでスモークが打ち上げられる見せ場だが、ここはいつも迷う。
メインでのアダムのパフォーマンスやスモークは撮りたいが、花道にいるブライアンもそのまま収めたい気持ちもある。

スマホを持つ手は常にベストショットを求めて
フラフラしてしまうのです。

頭上に上がるオーディエンスの手。
最終地に向けて
勢いを増してくれるよう祈った。









8. Love of My Life
9. Teo Torriatte(6:45~)


ブライアンが花道を歩いて来るだけで
胸がジーンとくる。
ファンと向き合う大切な時間。

“ナゴヤノミナサンコンバンワ!”
みんなが待ち構えた
板についた日本語の挨拶。

英語で
“また戻って来れて嬉しいよ”と言った後
ギターを受け取り
ちゃんと言うからねと
“マタココ、ニコレテ、トテモウレシイデス”

ギターの側面にカンペが貼ってある。
それを見ながら日本語で言い直した。

“イッショニ、ウタッテクダサイ”のあとに
“オゲンキデスカ”が来るオチ
そして
“モットネ”
入り乱れてます日本語😅
言えるやつ
言えるときに言っとこうって感じかなw

笑いながらも
熱いものが込み上げてくる。

その国の言葉を覚え
ご当地ソングを選び練習する。
どの国でも彼のおもてなしは変わることはない。

そこにどれだけの時間を費やしているか
アーティストとして、ではなく
人として相対してくれ
その姿勢にいつも頭が下がり
どれだけ感謝してもしきれない。


そう、ここで違和感はすでにあった。

4年前のように
手をとりあってが最初に来ると思っていたので
Love of My Lifeが先に来た時に
“何で?”と疑問符が頭に浮かんだが
その時はさほど深追いはしていなかった。


Teo Torriatte
6:45~
改めて聴くと
曲が始まる前の喋りが極端に声が低いと感じる。
アコースティックギターに乗せて歌い出し
メインステージのスクリーンに
今回初めて登場した日本の瓦屋根が
青白く浮かび上っていた。

8:43~
曲が始まって2分過ぎた頃
英語のサビが始まる。
この中途半端なタイミングで
自分でも未だに何故だかわからないが
カメラをメインステージに動かした。


するとここに現れるはずのない人物が現れる。
画面にはまずロジャが現れ
次に上手から誰かが足早に歩いてきた。

“誰…クルー?”と一瞬思ったが
鈍く光っている衣装が目に入った。
スッとマイクを取り背中を向けた。
アダムだとわかり…まだこの時は疑う余地はなく
“何しに来たんだろう、
次の曲の準備にはまだ早い…”

私の思考は徐々に混乱を始めていた。
日本語パートを歌いながらすでに上の空
目線は暗がりに佇むアダムへ。


9:24~
“静かな宵に…”
のタイミングでアダムが歩き出した。
どんどん反対側に向かって歩いていく。
画面からいなくなりそうになり慌てて追った。

この時たぶん私の呼吸は止まっていた。
“息をしてる場合じゃない
と、とんでもないことが起こるぞ、、、”

そして混乱の中
曲の展開が違うことに気づく。
4年前はここで終わっていたのだ。
続きがある…!


次の瞬間スポットライトに姿が浮かび上がり
歌詞を歌い出した。
そう、曲の歌詞をアダムが歌い出した、
という感覚だった。

“ちょっと待って…”
この言葉を最後に私の脳内は思考停止。
動画で確認するとごちゃごちゃと何か呟いてるが
憶えていない。

手が震え、体が諤々と震え出し…腰が抜けた。
体の震えを必死で押さえながら
画面がアダムから離れぬようにと保つことが
その時私ができる精いっぱいのことだった。

この間ブライアンが花道から戻ってきて
顔を手で拭い(泣いていたのか…)
ギターチェンジした光景は憶えている。

100%起こらないと思っていたことが起こると
人はどうなるのだろう…という
衝撃の体験をした思いだった。


今改めてこの日のアダムと向き合ってみると
大役を引き受け緊張していただろうに
そんなそぶりはなく
笑顔を見せオーディエンスを誘い…
そう、この曲のイメージを一新させるかの如く
明るく振る舞っていた。

なんて健気に彼はがんばっていたのだろう。
どこまでもどこまでも
アダムは真っすぐにこの曲と
日本のファンと向き合おうとしていたのだ。

今でも熱いものが込み上げるこのシーン。
大きく歴史が動いた瞬間だった。
しかし、これがまだ序の口だったと
ここから進みゆく先を誰が予測できただろう









12. (Call & Response)
Crazy Little Thing Called Love


混乱が収まらない民をよそに
爆弾を落としておきながら
さらに投下しましたよ、、このフロントマン。

“Yeah~‼”で終わるのかと思ったら
何とその後が続きました😱

“Yeah‼”から始まってブライアンが一瞬かたまってるww
“やるのか?やらないのか?
やるなら合いの手を入れないとな。”
そんなことを思いつつ
オーディエンスにも促すブライアン。

これを“Ay-Oh”と捉えるのか
“Call&Responce”と捉えるのか
判断が微妙なところなのですが💦


アダムのCall&Responseは今では希少。
遡ると2014年北米の途中から登場しています。

何度も話している私のドンスト論ですが、2014年北米ツアー始まってすぐのカナダから苦手だったドンストをしぶしぶやりだしたのですが、すぐにまた引っ込め(←妄想)、それとすり替わるようにCall&Responseをやり始めました。

“Vocal Solo”としてセトリに定着し、同年オセアニアツアー(来日サマソニは除く)、翌年2015欧州最終日まで続きました。

最初はうまくキャッチボールができなかった
お坊ちゃまでしたが、すぐに本領発揮🤩
可愛いアダムが炸裂してこの頃のアダムの勢いを
象徴していたような気がします。


彼のソロでは昨年ヘルシンキでまさかのアンコール前に初披露。
偶然にも私は最前列でその歴史的瞬間を目撃することとなりました。
(こちらは個人的に“Ay-Oh”と認定😅しています)

昨年ヘルシンキのXのポストを載せておきます。







アダムはこの名古屋公演
他公演に比べるとよく喋ってました。
“ナゴーヤ”という呼びかけも
意識して使っていたような気がします。
ありがとうアダム😍


このあたりで何とか“Ready Freddie!!”が言えるくらいに、ほんの少しですが私のメンタルも回復。
まだまだ先は続きますからね!









14. I Was Born To Love You

アダムのお喋りは続きます。

We’re so excited to be back in Japan.
We really love Japan(←めちゃめちゃスロー😅)

この曲次の大阪からは前半🏍の後ろに移動するので
この位置で聴けたのは名古屋のみ。


もうひとつの日本限定曲。
緊張の度合いは手に取るように伝わってきます。
4年振りに歌うわけですからそうなりますよね。
以前あるインタビュー番組で
この曲のタイトルをド忘れしたのは今や伝説。
思い出せなくてロジャ―が笑いながら
助けてくれました😂


そしてミラーボールがここで下りてくる。

これまでミラーボールを使っていた
I Want To Break Freeがまさかのリストアウト
ああ…ここで使ったのか😭と思いました。
偶然なのかライティングも同じ色を
使っているんですよね。

ブレイクフリーが外されたのは
とてもとても…悲しかったです。









16. Guitar Solo(partial)

ギターソロなんて
他のアーティストなら退屈だけど
レスぺは別次元の話。
今回のバージョンもストーリーがあって
何度観ても美しく壮大で感動。


昨年の北米の千秋楽LA会場で外に流れてきた
ギターソロのリハーサルの音。

最終日に来て
あの出ずっぱりのブライアンが
さらにリハを重ねるレスぺの音に
まじで私はスタジアムの壁に頭を下げ
自然に涙が溢れた。

昨日や今日築いたものではない。
本物の力って
人の心にちゃんと届くんだなあて思う。









17. Is This The World We Created…?
18. A Kind of Magic(3:06~)


Is This The World We Created
ライブエイドのステージで
ブライアンはフレディと一緒に
この曲を演奏しています。
映画では描かれていませんが
あの21分のステージの後夕刻にもう一度現れて
同じように椅子をふたつ並べて。


1984年南アフリカで勃発したアパルトヘイト問題。
当時英国ミュージシャンによるライブ開催が禁止されていた中クイーンは「サン・シティ」で複数回コンサートを行い非難を受け、国連のブラックリストに載りアフリカへの“出入り禁止”となりました。

クイーンのコンサート開催は“儲け主義”のためだと批判にさらされましたが、純粋に自分たちの音楽を聴きたい人が政治的な理由でそのチャンスを奪われていいのだろうかと、メンバーは慎重に話し合い開催を決めた背景がありました。

彼らはアパルトヘイト反対への意思を示し、サンシティ滞在中も反対活動を続けた。

バンドの解散説が流れたのもこの頃だ。
それを払拭、バンドの再起を果たしたのが翌年行われた「ライブエイド」への出演でした。



今のこんな世の中をつくってしまったのは
自分たちだよね?と
現代社会への警告にも聞こえるこの曲。

長い年月を経て、再びあのときのように椅子をふたつ並べギターを抱えるブライアンを、きっとフレディは見守ってくれているはずだ。

アダムは昨年の北米のステージから大役を任されていた。
ツアー後半の彼を私は現地で見守ってきた。

彼の歌声は日に日に艶やかさを増して
舞い散る枯れ葉に再び次の命を吹き込むかのような力を
感じずにはいられなかった。

来日公演でも変わらないアダムの姿が
見られることと思います。


A Kind of Magic
この曲の風物詩レスぺ花火🎆は
会場の消防関連の許可が下りないとできません。
幸いにも名古屋では見ることができました。

7:21
…が、一発目は不発😔
2発目からは大丈夫でした👍

7:50~
そしてもうひとつの風物詩
アダムくんのダンス😍

ギターソロに気を取られてるその後ろで
いつも楽しそうに踊ってるアダムを
見逃すわけにはいきません。

花道へ花火をしに行ったブライアンを
スマホで固定しつつ
目線はメインのアダムを追い…“今だ!”
というタイミングで画面を移動。

ロボットダンスにアヒル🦆ダンス🕺
初日にしてはキレッキレですね‼
ご機嫌うるわしゅうて何よりですお坊ちゃま😍

そしてこれだけふざけて😆踊ってても
曲の流れが変わる瞬間にスッと背筋が伸びて
スイッチが切り替わる。
マイクを取るタイミングも絶妙。
これが、、、アダムです👏

自分にスポットが当たっていない時間
放置されたアダムは要注意です。
瞬き禁止⚠お見逃しなく!









19. Killer Queen(Band Intlo)
20. Don’t Stop Me Now(3:34~)


QALの公式的なツアーは2012年欧州からとされている。
ウクライナ、ロシア、ポーランドからロンドンへの全6公演。

この頃はまだKiller Queenは演奏されておらず
初披露されたのは
この後の2014年北米ツアー初日のシカゴ。

ヨーロピアン調のカウチに身を委ね
モエ・エ・シャンドンのシャンパンを
ラッパ飲みして観客に吹きかけるという演出で
Killer Queenはデビューしました。








ブライアンもたまに座ったり😅
懐かしい2014年のアダム💕

自分のセトリノートをチェックしてみたが、この曲が外されたのはQAL史の中でたった1回。
昨年の北米オースティンでのF1のステージ、この日はイベント参加に伴い時短シフトが敷かれたため、7曲が外されその中の1曲でした。

あって当たり前のド定番の曲がまさかのジャパンツアー
名古屋だけになるとは😭
しっかり胸に焼きつけてください…。


今回の演出は女優ミラーに向かって
お得意のメイクを披露するという
これは昨年の北米ツアーから続いているもの。

アダムが座っているスペース
階段の最上段だが、実は猫の額ほどしかない。
そのため椅子も小さい回転式のものを使用。

歌いながら優雅にメイクをするアダムくん✨
アダムは所作が美しいことでも定評がある。

歩いたり止まったり
マイクを取ったり外したり
ドリンクを飲んだり、タオルで顔を拭いたり…
何をするにもいちいち優雅で美しい😍

今回のKiller Queenでも
気づいたことがあるので記しておきたいと思う。

1:58~
鏡に向かってメイクをしながら
くるっと椅子を回転させ正面を向いたシーン。
このとき組んだ脚の上に置いた扇子が
スルッと床に落ちてしまった。
(右手で一瞬押さえようとしている)

しかしアダムは顔色ひとつ変えず
そのまま歌が終わっても扇子を拾おうとはせず
パフォーマンスを続けた。
次のブライアンのギターに入るまで
自分がスクリーンに映っていると
わかっていたからだ。

ギターソロが始まり一呼吸置いて
完全にスクリーンがブライアンにシフトしてから
おもむろに扇子を拾い上げ階段を下りて
次にスタンバイする。
ここです‼
この2:23~の一連の動き‼
こんな優雅にものを拾う人、他にいます⁈

で、何事もなかったかのように
扇子をパタパタさせて
いちいち何でそんなに可愛いの❓🥹

何があっても絶対慌てない。
扇子を拾うなんて些細なことだけど
どんなトラブルや危険回避の場面になっても
彼の一連の動きは一糸乱れぬ、無駄なく的確。

今何か起こった?え、何か起こったよね?
と何が起こったか記憶に残らないくらい
神😇なのだ。


この後バンド紹介
タイラー🥁→ニール🎸→スパイク🎹
それぞれの演奏が入るパターンを期待したけど
簡単な紹介だけでした😔

本来ならここからアダムのSpeechなのですが
そこも飛ばされました…
時間節約だからしかたないよね😣

“伝えなきゃいけない事があるんだ”と切り出し
あのイントロのメロディが…。

そう、伝えなきゃいけない事は
ドンストなんだよねアダム🥹

昨年NHK紅白でこの曲にノックアウトされ
思わず来日公演のチケットをポチってしまった
(私もXで煽ったひとりなので責任を感じております…💧)
新しいファンの方のために
アダムは歌ってくれましたよ!

(QALのライブを観る時のポイントを教えてとXで尋ねられたので、この曲のノリノリポイントも解説させていただきましたが、来日中は皆様がんばってくださったことアダムにもきっと伝わっていたと思います🥹)

アダムも紅白以来の初披露で緊張しただろなあ
記念に残るドンストでした✨









21. Somebody To Love

アダムがこんなに笑ってたなんてね…。
“手をとりあって”の衝撃から
気持ちがどこかへ行ってしまって
ちっとも気づかなかった。

紅白から来てくれたファンの方たちをはじめ
会場の皆さまが
アダムをサポートしてくれたお陰で
“Find me somebody to love”の繰り返しと
最後の“love~‼”
しっかりアダムを盛り上げてほしいと
お願いした通り応えてくださったからこその
アダムの満面の笑顔。


ひとつだけここにもブライアンのこと
書いておきましょう。

始まりのコーラスのとこで
Sirが可愛い動きをしているので
お見逃しなく😳

コーラス忘れてたのかな?
慌ててトコトコ小走りでマイクまで来て…。
イントロドン!(←死語?)みたいになってますw

時々ね、この人も謎の動きがあるから
目が離せない要注意人物です。。。









22. The Show Must Go On

本来なら前半にセッティングされている
Somebody To Loveが
こんな後半に来て(これも初の試み)
さらにこの曲が続くのは
たぶんアダムも違和感あるだろうと思います。

でも流石です。
もうこの曲に挑む必要もなく淡々と歌い上げています。


My soul is painted like the wings of butterflies
Fairy tales of yesterday, grow but never die
I can fly, my friends


いちばん好きな歌詞
アダムの後ろを蝶が一斉に羽ばたいていく
プロジェクションマッピング✨
目で追ってしまいます









23. Bohemian Rhapsody

曲が始まるまで確か2分程はあったはずだと
(アダムのお着換えタイムと)
余裕で待っていたら間髪入れずにスタート
慌ててカメラを向けた。

着替えてない💧
ボラプの衣装好きだったので
密かに楽しみにしていたのですが
やはりここも時短のためか
前曲と同じ衣装で現れた。

昨年の北米ツアーの
Bohemian Rhapsodyの衣装はこちら😍

この曲だけのための限定衣装✨
見たかったな!








Bohemian Rhapsody
クイーンの曲の中でこれほど聴く人によって形を変える曲はない。
クイーンの象徴ともいえるこの曲は、長年のファンにとってはアルバム「オペラ座の夜」の代名詞であったり、新しいファンにとっては映画のイメージが強かったり、ライブエイドがこの曲の入り口だったりする。

私にとっては、アダムがQALとしてステージに立ってきた12年間の歴史を辿るなら、この曲を辿ればわかると言えるくらい、彼の歩いてきた道のりを象徴する曲だ。

最初はギターソロまでの前半部分を
アダムが1番、フレディが2番と
分け合って歌ってきた。

だが2017年からはフレディが歌っていた2番も
アダムが歌うようになった。
今でもこの部分になると
私はフレディの声が聴こえてくる。

どれだけのプレッシャーがあったかなどと
簡単には口にできないほどの重圧を乗り越え
Bohemian Rhapsodyのバトンを託された彼は
今でもしっかりそのバトンを握りしめ
舞台に立っている。

私はそんなアダムが誇らしい。
誰が何と言おうと
立派にその務めを果たしているからだ。

巷に溢れた誰かの言葉からではなく自身のこの目で
2012年からの一つ一つのステージを
それは動画を拾ってだけれど
何千回と繰り返し再生し記録をつけてきた。

紛れもなくそれは真実のアダムの姿に違いない。









Encore
24. Ay-Oh
25. We Will Rock You(0:59~)
26. Machines/Radio Ga Ga(3:44~)
27. We Are The Champions(5:57~)
28. God Save The Queen(10:20~)


静かな幕引きだった。
アダムの胸の内は…まずは
大役を無事終えたことでほっとしているだろう。

日本の観客はおとなしいと言われているが
Don’t Stop Me Now
Somebody To Me
アダムの笑顔を見ていると
そこを少なくとも彼は気にしてはいない。

アダムは顔に表情が出やすい。
心根が真っすぐで正直なのだ。
そこはブライアンと似ている。
自分を曲げないところも
自分に厳しいところも。

手ごたえは十分感じていた。
まだまだ満足はしていなかったけど
次へ繋がる希望、確信はあったはずだ。


最後にひとつアダムの流儀を。

11:07~
挨拶が終わりロジャと並んで退場して行く場面
ほんの少しアダムは先を歩いていたが
一瞬手を振っている間に先に行かれてしまった。
アダムは小走りにロジャを追い越し、足早に姿を消した。

そう、アダムはまず自分が先に退場する。
鮮やかに身をひるがえし、その素早さと言ったら…
“あれ?アダムいつの間にいなくなった?”と
ふたりがキョロキョロしている時もたまにある。

カーテンコールで自分の挨拶が終わり
ふたりと入れ替わった次の瞬間
すでに袖側に逃げていることも多い。
そこまで離れなくてもいいのに…
と突っ込みたくなる程の距離感だ。

花道ではブライアンを追い越さない。
横切る時は後ろを通る(どんなに狭くても可能な限り)
自分のパート以外の時はライトの当たらない場所へ。

自身の存在を消すことに努力を惜しまず
しかし自分の個性を消すことはない。
これまでもこれからも
アダムは流儀を貫いていく。









カーテンコールのとき
ふとあるところに目がいった。


ロジャと並んでお辞儀をする時ブライアンの膝は…曲がったままだった。
こんな膝で2時間以上も立ちっぱなしで、過密な日程が組まれたワールドツアーをこなしてきた。
攻める手は緩めることなく12年間も。
そこにクイーンの曲を聴きたいと思う人がいる限り、彼らは止めようとはしなかった。


初日名古屋の舞台、そこは4年前コロナ禍の魔の手を逃れるように日本を後にした、ファイナルの舞台ナゴヤドームだ。

彼らがツアーを終えた直後からパンデミックにより、コンサート会場が封鎖された日本。
僅差で免れた“奇跡のジャパンツアー”と呼ばれた。

その最後の舞台が、今ツアーの開幕の舞台に選ばれた。
偶然だろうか。


これが最後の来日だとそこに焦点を当てるより、彼らの想いは“日本に行かずして今自分たちのキャリアを終えるわけにはいかない”…そんな気持ちが拭え切れず日本行きを決めたのではないか、と今は思う。

いつ誰がどのようにどんな言葉で日本行きを
メンバーに告げたのか。
そこにはそんな言葉があったような気がする。



たぶんその後畳みかけるように紅白出場が決まり、終わってみればアダムのパフォーマンスに日本中の民が老若男女関わらず沸き上がっているのを目の当たりにして、長年のファンと紅白から来てくれる新しいファンがひとつの会場に集まることを想像した。

恐らくブライアンは以前から
映画がブレイクした2020年の来日の時も
感じていたのだろう…新旧のファンの垣根を。

日本公演の要になっている、あの曲
“手をとりあって”が
その垣根をさらに高くしてしまうのではと
懸念した。

ブライアンの優しいが細い声とギター一本では
限界があるのも感じていた…。

思い切った決断だったと思う。
4年前なら考えられなかっただろう。
そこは…QUEENと日本が築いてきた聖域だったことは
動かぬ事実だから。


アダムなら出来る、と託した理由は
北米ツアーのアダムを見て判断したと
私は思っている。

Is This The World We Created…?
この曲と真摯に向き合い
見事に歌い切った彼ならできると。
ライブエイドで
渾身のパフォーマンスを演じたフレディの残像を
ブライアンは隣りではっきりと感じていただろう。

アダムはクイーンの曲をカバーすることから
一歩先に進んだ。
そこは決して踏み込まないと決めていた
フレディと同じステージに立つこと。

それはフレディになることではなく
彼が生きていたならどうしていただろう…
それを忠実にやり遂げることが
アダムの与えられたミッションだった。


しかし
そこにアダム・ランバートは、居ていいのだ。
むしろ今は存在感を出してほしい。
それに意義を唱える人がいたとしても
たいした問題ではない。
アダムが自ら選び
自分の意思でステージに立ち、築いてきた今を
誰にも否定はできないのだから。


もう+ではないかもしれない。
そんなことがふと頭をよぎる。
もう+ではなくなったとは何を意味するのか。


“クイーンはもう体の一部になっているんだ。”
ちょうど一年前
カバーアルバム「High Drama」を作ったとき
アダムは自らそう口にしていた。
そういうことだろう、恐らく。

この言葉が今はしっくりと
私の中ではパズルの最後の1ピースのように
はまっている。


アダムは今年42歳になった。
ライブエイドのフレディを追い越し
彼がその生涯を閉じた年齢に近づいている。

フレディが歌ったこの曲をここに残します。
ふたつの“悲しい世界”があってもいいよね…。

彼は否定しないと思う。
喜んで枯れ葉を降らせていたのは
フレディだから、きっとね。









ナゴヤ公演プレイリストになります。
※現在限定公開ですが止む無く非公開になる場合がございます。ご了承ください。









※作成済のライブレポートはこちらからご覧いただけます。





コメント

タイトルとURLをコピーしました