今日も輝けるひとつの海をのぞいてくださり
ありがとうございます。
私はずっと考えていた。
“彼らはなぜ日本に来たのだろう”
正しく言うと
“なぜ日本だけに”来ようと思ったのだろうか
コロナ感染症の拡大が収まらない中
ヨーロッパ大陸を横断した2022年の欧州ツアー。
千秋楽のフィンランド・タンペレの彼らを見て
「このままでは終わらない」と私は確信した。
その思惑通り、翌年23公演にも及ぶ北米ツアーが発表された。
なぜ欧州ツアーの千秋楽で彼らが終わらないと確信したのか…その約2か月前ロンドンで見た彼らとはまるで別人のように輝いていたからだ。
2か月間に渡り36公演を消化してきたとは思えないほど、どのメンバーからも漲るエネルギーと大きな壁を乗り越えた達成感が伝わってきた。
私が見たロンドン最後のステージのカーテンコールは、ソーシャルディスタンスがとられていた。
何が起こっていたかは、想像できた。
その様子を目の当たりにして
私は最終公演のあるフィンランド行きを決めた。
全員揃ってのゴールを自身の目で確かめるために。
もしかしたら最後まで行けなかったかもしれない。
途中で中止になる最悪のシナリオもあっただろう。
そんな中で敢行されたツアーだった。
ラプソディツアーを終わらせたくなかった気持ちは当然の想いであり、同ツアーを銘打ってバンドは2巡目のツアーを決めた。
最後のツアーになるかもしれないという憶測が再び、噂された。
アメリカはアダムのお膝元であり、最後の舞台として北米を選んだとしても不思議ではなかった。
そんな私の脳内では
「日本に来る可能性」を聞かれた時
このタイミングで正直それは無い、と思ったのだ
ラプソディツアーでまだ一度も訪れていない南米や東欧の国々を差し置いて、2巡目として日本に来るだろうか。
もし来るとしても、日本だけというわけにいかないだろう。
日程的に韓国やオセアニアがいつもその前後に組まれていた。
いくら日本が特別感満載だとしても、そんな“まさか”の状況が起こり得るだろうか。
そんなブーイングにも近い“まさか”の状況が
起こってしまったのが今回の来日ツアーなのだ。
ひとつの来日の理由として腑に落ちたのは
札幌公演がバンド側からの強い要望から実現した、
という経緯を知ったときだ。
この経緯を公開してくれた招聘元クリエイティブマンプロダクションの清水社長と北海道新聞社にはとても感謝している。
(詳細は札幌公演レポートに記載あり→こちら)
ブライアンとロジャーは
“クイーンのメンバーとして”
札幌を訪れたかったのかもしれない。
ひとつの区切りとして
思い出をきちんと思い出にするために
そしてQALとして築いてきた
最終章へと向かうために。
そこにフレディとジョンがいることを
再認識したかったのかもしれない。
そんな私のもやもやは
札幌公演ですべて払拭された。
初日ナゴヤドームで最初に視界に広がったジャパンツアー仕様の巨大ステージセットや、Q史が塗り替えられた札幌でのアンコールの演出にどれだけの日本への想いを抱えてきたのか、まざまざと思い知ったのだ。
親愛なる日本のみなさん
こんにちは
大好きな日本に戻ってこられて
僕たちも興奮しています
前回の来日からもう4年も経ったなんて
信じられません
1973年のデビュー以来
日本のみなさんは常に私たちを歓迎してくれて
私たちも日本とは
強い絆を感じています
今回は 名古屋 大阪 札幌 東京を
訪れます
親愛なる日本のみなさん
再びあなたたちの
美しい国でお会いできるのを
とても楽しみにしています
Rock on!!
訪れる国に向けて彼らが
こんなメッセージを送ってくれることは、ない
日本だけだ。
美しい国と呼んでもらえるような
私たちでありたい
特別であることを隠す必要はない。
ただ、おごれることなかれ。
彼らが注いでくれる愛情を素直に受け止め
“日本のクイーンファン”であることに
胸を張っていられるよう
感謝と誇りを忘れずにいたい。
最終日東京公演で見せた彼らの姿
しっかりとここに残したいと思います。
さて最終日
私は行かなければならない場所があり
気持ちが進まない中…
いえ、すごく楽しみにしていたんですが
最終日というテンションはどこまでも私を
下へ下へ落としていきました。
もう動きたくない、
ドームにさえ行きたくない、くらい
気持ちが落ち込んでいました。
重いからだを引きずって地下鉄に乗り込み
渋谷へ。
私が目指したのは
タワーレコード渋谷店。
4年前の2020年1月24日
ブライアンがここを訪れ
サインと手形を残してくれていました。
今回の来日に合わせて店舗側が
一般公開をしてくれていたのです。
人混みが大っ嫌いな私は
渋谷駅を降りても不機嫌なまま
タワレコまでの道のりを進みました。
しかし店に着いてエスカレーターで上りだしたら
何故かとたんにハイテンションになり😅
展示されているはずのフロアを探し回っても見つからず
スタッフさんに血相を変えて
どこですか‼と詰め寄り…(ゴメンナサイ…)
ありましたぁ😭💕
前回の来日の時は来れなかったので
どうしても拝ませてもらいたかったのです。
あれから4年
時の流れをかみしめながら
やっとで会えたよブライアン
ありがとう
ミッション達成🎊
では心置きなく会場へ向かいましょう😃
※当日のコンディション 2024.2.14
天候 晴れ
最高気温 18.1℃(14:20)
最低気温 4.3℃(6:40)
降水量 0mm/h
最大風速 3.7m/s(14:40)
来日全5公演中
札幌の0.5mmを除き降水量は全て0mmでした。
(札幌は当日夜半過ぎからかなりの積雪あり)
お天気に恵まれ東京は真冬とは思えない暖かさ
ご高齢者様がメンバーにも来場者にも多くみえるので
色んな意味でよかったなと思います😂
入場します!
最終日の私の席はB-8
本日の眺望✨
アダムくん初登場🥹
千秋楽なのでやや緊張しておりまする。。。
セットリスト変更なし。
Killer Queenは外されたまま
最終日を迎えました。
Killer Queenの復活はとうとう叶いませんでした。
ツアー初日のみで二日目カットされた曲の復活は、残念ながら可能性としてはゼロに近いのが実状。
二日目の変更は時間調整ややむを得ない理由がほとんどのためです。
QALのセットリストは緻密な計算のもと、きっちり時間内に収めることが最優先となっています。
曲数が多く総演奏時間が長いということは、それだけタイムラグの影響を受けやすくなる。
その影響を最小限に抑えるため、セトリは固定が基本。
2016年アジアツアーまではセトリは安定しなかったが、翌2017年からは安定期に入り今に至っている。
残念ながら最終日に向けて曲を入れ替えたり復活させたりという操作も、基本的にはないと思っておいていい。
ただそれが、たまたまなのか、最終日に限らずごく稀になぜ今それをやる?みたいなタイミングで、サプライズという言葉では片づけられないレベルの爆弾をぶちかましてくるんですよ、あの人たちは。
やることがとにかく破天荒。
特に頭モフモフのギター持った方、人を驚かせるのが趣味?生きがい?…ときどき自ら墓穴を掘り、幻のセットリストを作ってしまう事もあったり🤣
なので、だから、全通しないとね、
という結論になるのだ。
ブライアンとロジャとあのアダムとやらを侮ってはなりませぬ。
私は2012年から追いかけてきて何度裏切られたことか💦
(あ、誤解のないよう…追いかけてるのはブログ上の話です)
時間内、という話のついでに加筆しておくと
今回の来日全5公演のタイムテーブルを置いておきます。
開 演 | 終 演 | 演奏時間 | |
名古屋 ※28曲 | 18時19分 | 20時31分 | 2時間12分 |
大 阪 27曲 | 19時06分 | 21時13分 | 2時間07分 |
札 幌 27曲 | 19時16分 | 21時24分 | 2時間08分 |
東京① 27曲 | 19時02分 | 21時08分 | 2時間06分 |
東京➁ 27曲 | 19時14分 | 21時22分 | 2時間08分 |
※記載の時刻は自身のスマホ内の撮影動画から拾った数字のため、多少の誤差があることをご了承ください。
Killer Queenが外された理由についてはいろんな憶測がありましたが、単純に時間調整のためだったと捉えています。
東京ドームは21時30分以降は音出し禁止の規制があるので、恐らく他のドームも何らかの制約はあったはずです。
15分前後の遅れがあった札幌、東京最終日で仮にKiller Queenをしていたとしたら時間制限を超えていたことは免れません。
開演が遅れたからと後ろを延ばすことは、アンコール重視のステージにはリスクが高すぎます。
開始の遅延を考慮すると、初日名古屋を終えた時点で時短の必要があると判断した。
セットリストの面々を見て1曲外すとすれば、Killer QueenかAnother One Bites The Dustの選択肢しかなかったかなと私は思っています。
この二択ならばアダムは後者の曲は外したくなかったはず。
最終的にKiller Queenがリストアウトされ、開演に15分の遅れがあっても時間内に終わるよう調整されたと思われます。
あと特筆したいのは演奏時間は1曲多かった名古屋を除き±2分以内。
私がスマホから拾った数字の誤差を考慮しても、このバンドがどれだけプロフェッショナルに徹しているか、数字が物語っています。
細かい話になりますが、東京初日の“悲しき世界”のスタート場所が花道からメインステージに変更になったことで、僅かですが時間が押していた。
そして気づいたのはアンコールのRadio Ga GaからWe Are The Championsに移る際、いつもならライティングが青に切り替わった時点で少し間があるのだが、間髪いれずすぐにピアノのイントロが始まった。
このような秒単位の細かな調整が随所でされ、彼らのタイムテーブルは進行していく。
たぶんどんなアーティストもしていることだと思うが、やはりクイーンの緻密さは別格だなと思う。
そんなハイクオリティなバンドで様々な経験を積み
二人のレジェンドの背中を見て過ごしてきたアダムは
本当に幸運なシンデレラボーイだと思うのです。
それではジャパンツアー2024
千穐楽東京公演
開演いたします‼
Opening
1. Machines(Or ‘Back To Humans’)/
Radio Ga Ga(Short Ver.)
2. Hammer To Fall
すげぇ熱気だぜぃ‼
最終日のオープニングらしいオープニング…
てどんなのって言われるとあれだが
この日で燃え尽きてもいいわけだからね。
とりあえずアダムくん
オープニングから飛ばしてますよ!
クロージングが明らかに違います。
いつもはここまで引っ張りませんからねぇ😍
よしよし、飛ばしなさい!思う存分‼
さて私はというと初っ端からアクシデント💦
録画スタートしたつもりが動いておらず
1分ほど経過してから気づき慌ててリスタート
何とかアダムの登場には間に合いましたが
かなりへこみました。
そしてこのアクシデント、ここだけでは終わらず…😳
あ、大丈夫です…レポートは最後まできっちりありますので😇
3. Fat Bottomed Girls
煽ってますな~アダムくん🔥🔥
どんだけ“Tokyo‼”言うねん(3回言ってます😍)
歌えやロックできとるんかいと煽りまくり
何も知らずにこれを観たとしても
もしかしてこの煽り方はツアー最終日?て
思うくらいわかりやすい。
因みに前日にこの曲で“Tokyo”とは
一度も言ってません。
そしてブライアン
後半のギターソロで昨日はステージ上手に
今日は反対側の下手へ。
ちゃんと右も左も公平にパフォーマンス
偶然ではなく彼はたぶん意識してか
体が覚えててやってると思う。
ほんとこの人はいつもいつも動いてる。
右へ左へ階段の上へ
この階段アダムのためだけじゃなく
ブライアンもかなり活用してます。
危なっかしい足取りで、それでも上りたい。
ロジャの後ろでドヤ顔がしたいのよねきっと😂
5. I’m in Love With My Car(Partial)
6. Bicycle Race(1:56~)
毎度のことながら誠に申し訳ございません
ロジャファンの皆様…💧
途中から、それも“どこ撮ってんの?広告?はあ?”
とツッコまれても言い訳の余地もない
車の映像になってます…
私が撮りたかったものは
スタートして30秒ほど経ってから
花道の先から顔を出しております😑
その後ステージにカメラを戻すも
スピーカーでロジャ様のお顔は隠れ💧
重ね重ね申し訳ございません…
そそくさと画面は移動し💦
次の曲🏍スタンバイ
ここでもオラオラ感出しまくりの
アダムくん一丁上がり😅
何事もなかったかのようにバイク回ってますが
昨日の今日なのでちょっと心配ではあります。
急に止まったり高速回転したりしませんよね⁈
大事な箱入り息子が乗ってるんですから
よろしくお願いします、裏方の皆様🙏
7. I Was Born To Love You
前日あんなに歌っていた自分の声は
どこへいったんだろう。
リズムに合わせて画面は揺れていたのに
この日は微動だにせず。
歌えばアダムの声が聴こえなくなってしまう…
一語一句を追いかけ、胸に刻み込んでいた。
アダムの声はほんとによく伸びていた。
残響音のための技術的な対策がされただけで
これだけ良くなるとは思えない。
東京ドームだけど
“アダムだから音がいい”と納得したのは
やはり間違っていない。
これだけの声量があっても音が割れないのは
ミキサーの処理だけではなく
やはりアダム・ランバートだから、なんだよね。
専門的なことはわからないけど
アダムの声ってそこまで処理や調整したりする必要も
ないんじゃなかろうか。
インタビューやただ喋ってる声を聴くとわかる。
何もしていないのに音響効果かかってるような声だから。
アダムの声は音楽の神様からの授かりもの
そこにあのビジュアルだからね
天が二物を与えてしまった最大の過ちは
アダム・ランバートです😇
さて忘れぬうちに
前日の東京初日で起こった珍事件を
検証しておかないとですね。
前曲のBicycle Raceで乗り捨てられたバイクが
舞台下へ格納されずステージ上で回っていた珍事件
他の会場ではなかったことなので
回転が止まらなかった機材トラブルかなと
見ていました。
先に貼った私の動画では
バイクの様子が確認できなかったので
他の動画をお借りしました。
画面中央のバイク🏍にご注目ください‼
1:13~
アダムが離れてしばらくするとステージ下へ。
やはりこれが通常モードですね。
前日の回り続けていた事象は故意ではなく
何かのトラブルであった可能性が
濃厚という結果が出ました。
バイクも日本への名残を惜しんで
回っていたかったのかも🥹
※記事の最後に保存用として、全会場のバイクの様子が確認できる保存用プレイリストを載せておきます。
8. I Want It All
最初の即興部分は約2分間。
アダムは気持ちの赴くままにアレンジしているように見えるが、譜面に起こしてみればレスぺの合いの手も含めほとんど同じだと思う。
でも気持ちがどこにあるかは微妙に違う。
名古屋、大阪あたりまではオーディエンスへ持ってくような目線、反応を気にしているような間があったが、最終日だけあってさすがに集中力が違う。
完全に自分へ向かってのパフォーマンスに没頭していた。
最終の東京2daysはやはり意味があると
改めて感じる。
前日の余韻が残る会場は士気を高める。
アダムがベストな状態でこの日を迎えたことは
どこを見ても明らかだった。
ブライアンのボーカル、ギターソロ
こちらも申し分ない。
思った通りだった。
彼らは最高の状態で
最終日のステージに立っていた。
9. Love of My Life
“トーキョーノトモダチ コンバンハ
オゲンキデスカ
ホントネーーー⁈”
ブライアンは
トモダチと口にしていた。
ミナサン、ではなく“トモダチ”って言ってる
初めてではないと思うけどMCで使ったのは初めてかな
誰かに教えてもらったのかな
トモダチって言うといいよって
もう私たちは“トモダチ”なんだね
ありがとう
ありがとう
ありがとう ブライアン
10. Teo Torriatte
初日名古屋でアダムが歌い出して腰を抜かしたのが
遠い昔のように思えます。
この曲日本限定ですが、今回ふと思いました。
アダムのこのボーカルなら
海外で披露されるのもありなんじゃないかなと。
今の世の中へのメッセージ性は十分ある気がします
いろんな国の人たちが集まる海外の会場で
“Teo torriatte~”と皆が歌う。
この美しい日本語歌詞が
海外の空に響き渡ったらどんなに感動的だろう。
(空=屋外と勝手に想定🥰)
これだけ日本列島を混乱させたのだから
もう何が起こっても不思議ではない。
これは余談になるが
2年前の欧州ツアー…
“輝ける日々”から突如消えたアダムの姿。
ロンドン最終日、私が見た日が最後となった。
私の中であの出来事は、まだ終わっていない。
どこかで終止符を打ってほしい…
そう願っている。
この曲クイーンの5枚目のアルバムに収録されているが、ブライアンは’75年の初来日が終わった時点で既に日本のファンのために作ろうと考え始めていた。
日本語の和訳は来日時に彼の通訳をしていた鯨岡ちか氏。
美しい和訳はこの方の手によるものだった。
手をとりあって このまま行こう
愛する人よ
静かな宵に 光を灯し
愛しき 教えを抱き
※因みにTeo Torriatteの“r”が二つあるのは最初からで原題もこの綴りだった。
作詞作曲はブライアンだが、フレディの直筆歌詞もrは二つになっている。
最初のミススペルがそのまま使われた説を昔何かで見たような記憶があるが、信憑性には欠ける。
滑らかに発音しやすいようにわざと重ねたのかも、とも言われている。
わざわざ日本語歌詞を用い、日本盤ボーナストラックではなく正式な収録曲としてアルバムのクロージングに使われた。原題も日本語そのものである『Teo Torriatte(Let Us Cling Together)』
この曲が誕生した経緯と日本で愛され続ける理由を音楽評論家の増田勇一さんが書かれた記事があるので載せておきます。
udiscovermusic.jp 2021/7/16付
―クイーンが日本語で歌った「手をとりあって」:誕生の軌跡と日本で愛され続ける理由
12. Under Pressure
ニールのベースソロを収めるには
この角度が良い。
欲を言えばもう少し真横からがベスト。
アダムがニールの横を通り過ぎる時の
肩をポンと叩いて行く姿が一瞬映ってました!
思わずガッツポーズ💪
(0:36~)
毎度毎度の“瞬き禁止”…一瞬ですからね!
白浮きしてるけどいいのよ
素人だからさ、気にしない~
こういう一瞬一瞬がほんと尊いのよね😭
気遣いとかじゃなく、気使わなくてもさりげなくできる
いや気を使ってるんだけど、いかにも使ってないように見えるとこが彼の凄いとこ!
13. Tie Your Mother Down
演奏が始まる前にアダムが気づいた
目の前の衝立に掲げられていた2枚のバナー
アダムは早口で近くにいた警備員に話しかけた。
“みんなに見せたいからそれを持ってきてくれるかな?
心配いらない。後でちゃんと返すからね、大丈夫だから!”
最初は右側のアダムのバナーを外そうとしていたのを“そっちじゃない。こっちだよ”と三人の描かれた方を指し、よこせと催促。
このまくし立てぶりから、かなり気に入ったようでした👍
嬉しそうに受け取り、まず二人に見せ(←ここがまた涙を誘う😭)会場へ披露。
“We love Japan
Thank you!!
アリガトゴザマス”
最終日にこんなことが起こるなんて‼
素晴らしい瞬間でした🥹
私は最初何が起こっているのかわからず
慌ててカメラを回したのですが途中からしか撮れず。
そしてあちこち探しまくり
Xに一部始終を収めてくれた動画のポストを
見つけることができました!
アダムが気づく前の様子からきっちり収めてくれてあり
有難くお借りいたしました✨
pekorikoさん、素晴らしい動画のシェアと
こちらへの掲載をご快諾いただき
ありがとうございました🙏
アダムがフラッグを手にしてくれた場面、横からだけ撮れてた!
— pekoriko (@pekoriko1) February 14, 2024
アダムの判断でこの場面が生まれるって本当に凄いって思った。QALのフロントマンだって!いや前からそうだけど、ブリ&ロジから全て任されてるって伝わった😭
東京ドームDay2#QAL2024Japan #QAL2024Tokyo #AdamLambert #QUEEN #QAL pic.twitter.com/EHwHoZrTw4
“Mr. security man
Excuse me sir”
アダムがバナーを手渡ししてもらう際
警備員の方にかけた言葉。
今回の来日公演の中で
いちばんアダムという人間性を表した言葉だ。
きちんと相手に敬意を示すことができる
彼の素晴らしい一面。
そして早口でまくしたてるこのアダムが
まさに素のアダム。
日本で初めて見せた素顔でした。
海外ではアダムが特定の観客と対話をしたり、会場のオーディエンスからバナーや国旗などを借りるシーンを見かけることは、そう珍しいことではない。
しかし日本でこういうシーンが見られたのは初めてではないだろうか。
先のお借りしたポスト主のpekorikoさんの仰るように、アダムはふたりから全て任されている…ほんとにそれが伝わってきますよね。
結成当初はブライアン、ロジャ、スパイクに守られていたアダム。
今やそれは逆転している。
じゃあいつからこんなアダムになったのだろう。
これが例えば
4年前の来日で同じことが起こっていたとしたら
どうなっていただろう…と想像してみた。
バナーに気づき指をさし、ブライアンとロジャに教えてファンに向け感謝の気持ちを述べることはあっても彼は恐らく…セキュリティに向かって、それをよこしてくれと早口でまくし立てることはしなかっただろうし、手に取ることもなかっただろう。
しないのではなく、できないのだ。
アダムはそういう立ち位置にいた…少なくとも4年前は。
日本は…他の国と比べると少し違う位置づけにあった。
クイーンと日本の強い絆は時にアダムを苦しめたこともあったはずだ。
他国とは違う立ち位置であることを認識し、自分の存在を消すことに努力を惜しまなかったアダムが、そんな日本でこんなにも自分の意思を露わにしたことに、私は驚いている。
いや、いちばん驚いたのはブライアンとロジャだったかもしれない。
アダムの取った行動自体はさほど珍しいことではない。
そこが日本であったことが、特別だったのだ。
もしかすると初日の名古屋ならば
こうはなっていなかった、とも考えた。
手をとりあってのボーカルを任されたアダムは
公演を重ねる度に頼もしくなっていった。
日本が、彼を成長させてくれた。
ブライアンとロジャはアダムに託したことが
彼の試練となることは承知の上で任せた。
でも試練で終わらないことも願っていたし
きっと乗り越えてくれると信じていた。
アダムが初めて日本で自分の居場所を
見つけたように思えた、
それは自分の力で。
丁寧に描かれた素晴らしいバナー
製作にどれだけの手間と時間がかかっているだろう
掲げてくださった方に心から感謝したい。
アダムをこんな笑顔にしてくれて
ありがとうございます。
16. Guitar Solo
冒頭で記載した全公演タイムテーブルの表で、東京最終日が札幌と並び最長だったが(最長と言っても誤差は2分以内)東京のその2分はこのギターソロから出たものではないかと思う。
始まって2分過ぎ
ここからいつものドボルザークに移る流れだが
何やら違うフレーズを弾いてる…
あーーーーー💧💧💧
もしやこれは…もしかしなくてもアレですね
ブライアン先生😭
日本限定曲は2曲だけじゃない
3曲目の限定曲『さくらさくら』🌸🌸🌸
他公演では残念ながら演っていません。
最終日のみの特別枠となりました。
17. Is This The World We Created…?
アダムって上手いよねって絶賛されますが
彼だって人の子
この曲、最初からこんな風に
歌えたわけではありません。
昨年の北米ツアー初日で初めて披露された時は
今の…20%くらいだったように思えます。
私は千秋楽のチケットを持っていたので
その舞台でどんなこの曲のアダムに会えるのか
楽しみでした。
ライブエイドの別枠で演奏された背景もあり
ふたつの椅子が並べられるという
まるで再現のような空間で
手探り状態で形にしてきた。
彼の故郷LAの夜空に響き渡った歌声は
地上のすべてを浄化するかのように清らかでした
クイーンの楽曲はどれも難曲ですが
ファンの想い入れが特に強いものは
技術だけではそう簡単にファンは納得しない。
これだけの歌唱力がありながら
試行錯誤はいつものこと。
でもアダムはそれを苦労…とは呼ばない。
+(プラス)の存在として
クイーンのステージに立ち続ける事を選んだ彼は
曲と向き合うこと
表現者としてできる精一杯のことをするだけだと
ここまで歩いてきた。
苦労と呼んでいたら
彼は今ここにはいない。
苦労は報われるためにするのではない。
アダムを見ているとそう思う。
真摯に生きるとはそういうことなのだろう。
18. A Kind of Magic
レスぺ花火について最終日なので
もう一度こちらにまとめておこうと思います。
【名古屋】
①発目…打ち上げ構えのみ不発
②③発目…成功🎆
【大阪】
①②発目…打ち上げ構え+ステージ花火
③発目…打ち上げ構えのみ、ステージ花火なし
【札幌】
①②③発目…全て成功🎆
【東京day1】
【東京day2】
①②③発目…打ち上げ構え+ステージ花火
成功🎆と記した名古屋と札幌は、レスぺのネック先から打ち上げられており、消防許可が下りていると思われます。
許可が下りなかった他3公演は、レスぺから打ち上げる構えだけして同時にステージから打ち上げられています。
北米ツアーで観た公演が全て打ち上がっていたので、私はできることが普通だと思い込んでいました。
日本が厳しいのか、海外が柔軟なのか、そもそも会場の構造や設備が根本的に違うのかなあとも思います。
2020年の公式インタビューで
ロジャがアダムに歌ってほしいと提言した曲。
その時は実現するなんて微塵も思っていませんでした。
2年前の欧州ツアーでの初披露の時は
“アダムには向いてないかも?”
と感じたのは正直な気持ちです。
でもうちの看板息子は流石でした。
あっという間に歌いこなし
また新たな世界を私たちに見せてくれました。
美しいステージに負けないくらい
アダムの歌声には華がある。
きっと自分とは
全く別物にしてくれると見抜いていたロジャも
流石だなと思います。
19. Band Intro
Don’t Stop Me Now
日本限定の2曲は基本的に日本でしか演奏されない
(基本的に、というのは“手をとりあって”は完全に日本だけだが、“I Was Born To Love You”は2014年に韓国、2020年にニュージーランドのウェリントンでプレイされたことがある。)
QALにとっての日本限定はこの2曲だが、今回の来日では間違いなく“Don’t Stop Me Now”は『日本の紅白の曲』としてバンドにもファンの中にも認識された。
アダムにとっても他国とは少し違う意識として
インプットされただろう。
曲によってまた新たな共通の想いを持つことは
素晴らしいことだと私は感じた。
守ることはもちろん大事だ。
でも変わっていくことを恐れていては
途絶えてしまうものもある。
曲は生きている。
世代を超え、形を変えていくことは
悪いことではない、
そこに作り手の想いが受け継がれているなら。
アダムはそれができる歌い手だから。
20. Somebody To Love
何度か再生していてあることにふと気づいた。
“いつもより長い…”
カウンターは6分37秒。
前日は5分55秒。
この曲はほぼ5分半から6分までで収まっている。
後半のクロージングが長くなると6分超え、
7分を超えることもある。
確認するとやはり
“find me somebody to love”の唱和から以降で
40秒の差が生まれていた。
さすが、、、最終日だなアダムくん😍
アダムの歌声で人並みの“好き”だったこの曲が
私は大好きになった。
このブログを書くようになってからの再生回数は
桁外れに断トツでトップのはずだ。
この曲をアダムの戦友と勝手に呼んでいるが
彼の心をいちばんに映し出している、
この曲のアダムを見れば
その日の彼がどの辺にいるかが、わかる。
たぶん、ブライアンもロジャもスパイクも
同じことを感じているとこれも勝手に思っている。
この曲が、どれだけアダムを支えてきたか
一番近くで見てきた人たちだから。
最後の“love”を今はオーディエンスに託しているが
QAL結成当初はごく普通に自分が歌っていた。
その境い目はやはりあの、2015年だ。
アダムの大きな転機となった欧州ツアーが
オーディエンスとの溝を少しずつ埋めていった。
その橋渡しになってくれたのが、この曲だった。
寄り添い、時には突き放し励まし祝福し
どんな時も見守ってくれた。
この曲を歌うアダムが好きだ。
名曲は誰の手に渡っても名曲。
同じ曲ばっかり聴いてブログ書いて
よく飽きないよねって言われる。
同じ?どこが?
100回のサンバデがあれば
100通りのサンバデがある。
アダムが凄いんじゃなくて
クイーンの曲が優れているってことなんだよ。
21. The Show Must Go On
スクリーンに映し出されている神殿の柱が崩れるシーンから始まっているが、本来ならばいつも前半にあった“In the Lap of The Gods…Revisited”で神殿が崩壊し、“The Show Must Go On”で再建されていた。
2023年の北米ツアーから“In the Lap of ~”がリストアウトされこの演出に変わっている。
崩れた神殿は再建されることなく曲が終わっていることは、何かの警告なんだろうか?とも思う。
名古屋、大阪あたりまでは、この曲まだ集中できずにいたアダムでしたが、最終日…圧巻ですね。
イヤモニを全く気にする素振りがないのはそれだけ集中できている、ということ。
声の伸びが数段違います。
ブライアンもよしよしとほくそ笑んでいるのが、下手スクリーンにちらっと見られました。
アダムの順応力というか修正能力はまあ、天才と言うほかありません。
ミュージカルで培った表現力の豊かさとステージ勘が、彼を助けているなと思います。
最終日、間違いなく最高の出来でした。
100点満点だよアダムくん🤩
22. Bohemian Rhapsody
エンディング
東京初日はオーディエンスに任せたこの部分
“Nothing rally matters to me”
今日は“to me”はアダム自身も歌い…
“あー最後、自分も歌うな”と思った
“Any way the wind blows…”
最終日、全員で歌い切った。
会場とステージの一体感が
昨日今日作られたものではなく
10日前の名古屋から一つ一つ乗り越えて
全員でここまで来れた達成感に満ちていた。
ひとりひとりの力は微力かもしれない。
そこにいる理由はそれぞれでも
ひとつの目標に向かって
同じ時間と空間を共にすることは
お金には代えがたい尊いものだ。
音楽に関わったひとだけが体験できる
素晴らしいエンターテインメントという名の
経験、そして財産となる。
ライブは魔物だ。
一度足を踏み入れてしまったら
一生を棒に振るほどの魔力がある。
クイーンとは恐ろしいバンドであり
そこにアダム・ランバートという曲者が
乗っかったら、この様だ。
あとは自己責任で
溺れようがのめり込もうが思うがままに
覚悟を決めて一生を棒に振ってくださいませ😇
Encore
23. Ay-oh
24. We Will Rock You
もうここに来てスマホが仕事せんという…
普段は画面をタップしたら直るんですが、ピントが何しても合わない地獄に堕ちた私のイライラは『超マックス』でした😅
アンコールはカーテンコールまで通しが鉄則だったが、ピントがブレブレのぽんこつスマホを構えながら、頭の中は“どうするんだぁーーー⁈”とぐるぐる思考が渦巻いていた。
“切るならMachinesが始まる前だ。ろっきゅーが終わったと同時に止めて速攻スタートするのだ!”と自分にコマンドを送り、心臓はもうバクバクでした。
見事にボケボケですが、まあこれも自分の残した記録としてここに置いておきましょう。
25. Machines(Or ‘Back To Humans’)/
Radio Ga Ga(Short Ver.)
26. We Are The Champions
27. God Save The Queen
見事に繋がりました😭😭😭
我ながら場数を踏んだだけあるな、天才やん!😂
ピントも合い一安心。
なんて美しいアンコールだろう。
紙吹雪の一枚一枚が撮れていて本当によかった🥹
来日中の5日間のステージをその上空から見届けてくれた
天井の鴨居中央に輝くクレスト
数々のドラマがあり
感動の渦に巻き込まれながらここまで来た。
半年以上経った今でも
私の脳裏には彼らが残した11日間の軌跡が
鮮明に浮かび上がっている。
それは決して消えることはない
記憶ではなく、感覚で刻み込まれているから。
肌に伝わってくる空気の振動
降り注ぐ音のシャワー
熱気の中にも何処からともなく吹いてくる
ひんやりとした風を感じながら
幸せの絶頂から見える景色に酔いしれた。
チャンピオンズのクロージング
“of the world”のとこあなた、アレンジしたよね
私は聞き逃さないからね。
ここ何年アレンジすることは滅多になかった。
アダムはとても幸せそうに見えた。
それが何よりも何よりも私は嬉しかった。
ありがとう ブライアン
ありがとう ロジャー
ありがとう スパイク
ありがとう ニール
ありがとう タイラー
ありがとう クルーの皆さん
ありがとう バナーを外して
アダムに手渡してくれたMr. Security man
ありがとう
関わってくれたすべての方のお陰で
アダムはこんなに幸せな千秋楽を
迎えることができました
そして―
ありがとうアダム
5回言ったけど聞こえたかな
きっと届いているよね
日本へ行くことを決めた
ブライアンとロジャーの気持ちを想像し、
手をとりあってを歌ってほしいと
アダムに告げた時の覚悟と
彼がそれを決断するまでの様々な想いと葛藤。
長きにわたり支えてきてくれた古参のファンと
紅白から応援してくれるようになった
新しいファンとの大きな垣根を取り払うために
アダムの力が必要だった。
そこは避けては通れない
どうしても突破したい道だったのだ。
新旧のファンの垣根を取り払うことが
ジャパンツアーに課せられたミッションだった。
築き上げてきたものに新たな風を吹き込み
次の世代へと繋げていく
そのために12年前アダムは送りこまれた、
フレディの手によって。
いくつもの世代を超え受け継がれてきた
クイーンの楽曲たち。
絆はかたちを変えていく必要があった。
特に日本ではその必要性を感じていた。
これが日本へ行くことを決めた理由だ。
そしてその重要なミッションは
見事に成し遂げられた。
アダムの力は大きい。
しかしそれ以上に日本のファンの力が大きかった。
そこには札幌公演で関わってくれたGLAYと
そのファンの人たちの存在があったことも
ここに記しておかなくてはいけない。
初日名古屋では
手探り状態から浮上した問題点を
徹底して洗い直し修正
大阪ではカーテンコールのアダムが違う顔を見せ
札幌ではGLAYと共に音楽の壁を乗り越え
前代未聞、二手に分かれ大量に吹き荒れた
アンコールの紙吹雪と
QALは6人なんだと証明された
花道でのカーテンコールに涙。
そして集大成東京2days
次の世代へと新たな絆を作り上げた。
いくつもの偶然と必然が重なり実現し
成功を収めたジャパンツアー2024
最終日バナーを掲げ
嬉しそうにブライアンとロジャに見せる
アダムの笑顔が
私は何よりも嬉しかった。
ここは通過点
彼らは次のステップへと踏み出す
次の戦いの場へと
アダムと私の旅は続きます
また彼らに会いたい
かならず会いたいんだ
37年間しぼんだことのない
東京ドームの天井に刻まれたであろう
アダムの歌声
彼を誰よりも誇りに思う
“手をとりあって
どこまでもこのまま行ってくれ”
フレディの願いを
アダムは橋渡しできたと思っていいよね
最終日の東京ドーム
私は意外と元気でした。
ドームから脱出する最後の姿を見納めようと
終演後裏口に張り付きました。
その時の様子を動画に撮り
Xにポストしたのがこちらです。
この中のどれかにアダムが乗っていた😭😭😭(と思われる…)#QALJapanTour2024#東京ドームday2 pic.twitter.com/2Bc051GYyi
— milkyseas (@milky_seas39) February 14, 2024
このどこかに確かにアダムは乗っていたようです。
ありがとうの気持ちを伝えたかった。
立ちっぱなしで体は冷え切っていましたが
心は温かかったです。
出待ち現場のすぐ後ろにあった居酒屋
「SDT TOKYO
アヒージョとワインの大衆バル」様
来日記念メニューがあってこの日が最後だったので
コレいただいてきました😍
お店のスタッフの方ありがとうございました。
冷えた体にグラタン美味しかったです。
QAL御一行様がドームを去るまで見送るという
私の最後のミッションも無事終わりました。
半年間に渡り、ジャパンツアーのライブレポートをお読みくださった方々に心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。
この後の予定ですが昨年の北米2023へ戻り、私が参戦したナッシュビルからの11公演も含め初日バルチモアから23公演、記事を埋めていこうと思っています。
そして下書き止まりが点在する欧州2022を完結させ、その後は途中まで進んでいる本来のブログの流れに戻り、北米2017から再スタートの予定です。
過去記事内の削除されている動画や不具合で失っているXのリンク、消えた画像の修正も並行して取り掛かりたいと思っています。
また気が向きましたら
お越しくだされば嬉しいです。
先が見えないあのブログ、まだ続いてるの?
とのぞいてくださるだけでも構いません😂
皆様のお越しをお待ちしております。
※東京ドーム最終日(2024.2.14)のプレイリストになります。
(予告なく非公開になる場合がございます。ご了承ください。)
※『東京初日だけ回り続けるバイク』事件🏍
全会場のバイクの様子が確認できる保存用プレイリストはこちら。
※各公演のバイク格納時間
1. 名古屋 3:00~
2. 大阪 1:07~
3. 札幌 0:54~
4. 東京1日目 本来なら1:10辺りで停止し格納されていたはず。その後も2:45までバイクが回っているのが確認できます
5. 東京1日目 4:28~ ここでようやく格納
6. 東京2日目 1:11~
【追記】
この記事を書いている最中にあるニュースが飛び込んできました。
amass.jp 9月4日付―「クイーンのブライアン・メイ、軽い脳卒中を起こして病院に緊急搬送されていた 現在は「ギターを弾けるようになった。僕は大丈夫」
今回が初めてではない。
4年前に心臓の手術も受けている体だ。
今年で御年78歳。
12年前にアダムと共にQALを結成して以来、21のワールドツアーと単発的な公演も含め、293公演のステージをこなしてきた。
単純計算で弾き出すと、1.7~1.9日に1回の割合でタイトな日程を消化している。
移動は陸、空、海とあらゆる手段を使い、時差空間の狭間を文字通り行ったり来たりしながら、2時間超えのステージに立ってきたのだ。
人の体内時計はとても正確にできている。
そこに逆らって世界を飛び回ることがどれだけ負担をかけてきたか、想像してみてほしい。
幸いにも治療はうまく行き、いろんな日常の制約は受けながらも現在は安定しているようだ。
こういうことがあると、当たり前だが彼らは不死身ではないのだ、と思い知らされる。
来年は欧州2025があると勝手に妄想し、行く気満々で準備を進めていた。
一気に現実に引き戻され、ブライアンがギターも弾けなくなった事実を重く受け止めている。
あと一度でいい。
例え1曲でもいい。
あの6人のステージが観たい。
もう少し連れていくのは我慢してほしい…と
9月5日の誕生日にお願いした。
※ジャパンツアー2024の作成済のライブレポートはこちらの日程表からご覧いただけます。
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