今日も輝けるひとつの海をのぞいて下さりありがとうございます。
今日は1月24日。
公演初日前日。
この日の早朝6時40分
上京のため地元を出発した。
氷点下のバス停、近くのコンビニに暖を取るために入った。まだこの頃は普通に売られていた大量のマスク。
コロナ禍を免れ紙一重で実現し、奇跡の来日公演と呼ばれるようになってしまった2020年QAL来日公演。
あれから一年がたとうとしている。
アダムのライブ告知も少し落ち着き、自身の本業ライブレポートのブリュッセル公演に手をつけ始めていたが、御一行様が羽田に到着した1月20日からSNS周辺がとたんにざわざわし始め、どうも落ち着かない。
そんな時、ある方のツイートを目にした。
これが起爆剤となった。
もう少し後のつもりだったがアダムのバースデーライブも重なっているので、このタイミングで記事にすることにした。
当時の来日に関しての情報は既に巷に溢れているので、今回はあくまでも自分の振り返り、今心に思うことをここに残しておきたいと思います。
よろしければ、しばしお付き合いください。
来日が発表されたのは2019年4月17日クイーンの日。
6月初旬からイープラスよりプレオーダー開始。
ここから皆さまが経験されたような
怒涛のチケット争奪戦に突入した。
↓それから何度このメールを受け取ることとなったことか。
これを受け取る度に
“もうこの世の終わりか!”
みたいな落ち込みようだった。
人気の海外来日アーティストのチケット確保は、まず単純には行かず長期戦、さらに無駄な散財などのリスクが伴うのが常だ。
だが、ここまで長期戦になり心労を重ねたことは記憶にない。
その間にも全日程のチケットが揃う前提でホテル、夜行バスや新幹線のチケット予約なども同時進行させながらの戦いだった。
友人と二人で協力しながら落選、当選、発券、リセール出品を繰り返し4枚全てのチケットが揃ったのは来日が目前に迫った年明けだった。
チケットが手元に揃った頃には妙な達成感があり、もう来日終わった!?くらいの勢いだった。
当時来日前の2020年1月9日
中国で最初のコロナウイルス感染者が見つかっていた。
だが…
中国の正月、春節が重なり東京の街はそれらしき観光客で溢れかえっていた。
マスクをしている人はその頃でまだ全体の2〜3割くらいだっただろうか。
2020年1月25日・26日
さいたまスーパーアリーナ
2020年1月28日
京セラドーム大阪
ROYさんからお借りしました。
(使用に当たり許可いただきありがとうございます。)
世界中に羨ましがられる。なんで日本はそんなに特別なんだ?と。日本の当たり前は世界では当たり前ではない。ヨーロッパツアーしても一国一公演なんてざら、日本は何公演もしてくれて日本語の曲もある。この体験が特別であり貴重なこと、感謝でしかない。来てくれてありがとう。QAL2020.1.26 ROY撮影 pic.twitter.com/fpnG5lIODA
— ROY (@ROY6169) January 19, 2021
私は次のコメントを付けてリツイートさせていただいた。
当たり前だと思っていたことに感謝することを忘れていた。
クイーンが日本を愛してくれた裏側には、ML社を始め日本のメディアの尽力や有能で人間性溢れるボディガード伊丹さんのような存在があったからこそ。
そしてこうやってギターを抱えて最前線で歌ってくれるブライアン。
その上に私たちの幸せは在る。
恐れながら申し上げると、ROYさんは皆さまご存知の通り世界でいちばん有名な日本のクイーンファンであり、クイーンのいちばん近くにいらっしゃる日本のクイーンファンではないかと思っております。
そんなROYさんのツイートはいつもクイーン愛に溢れていて、言葉に重みがありずっしりと心に響いてきます。
“日本の当たり前は
世界の当たり前ではない”
頭の中でこの言葉がぐるぐる回った。
そんなことはわかっていたはずだ。
いや、わかっているつもりだったが
それが当たり前になっていた。
Teo Torriatte(Let Us Cling Together)
I Was Born To Love You
日本だけの特別枠の曲が2曲も存在する。
それがどういうことを意味するのか。
1975年4月17日18時25分羽田空港。
クイーンが初めて
日本の地に降り立ったこの瞬間から
物語は始まった。
クイーンと日本が築き上げてきた特別な絆。
その裏側には日本人特有の手厚いおもてなしや、クイーンの販促にそれこそ自身の全てを費し奔走された各メディアの方たちの尽力があったこと、そして世界一の護衛を誇る日本の東京パトロール現社長、伊丹氏の存在も大きい。
最後の来日となった85年の翌年、プライベートで来日した時にフレディが伊丹氏に日本刀を贈ったことは有名な話。
その時の警護が最後となり
物語は幕を下ろした…
はずだった。
音楽の神様は
いたずら好きなのか。
2004年 ポール・ロジャース
2008年 アダム・ランバート
このふたりの救世主を送り込み
クイーンの物語は今に続いている。
当たり前のように来日を重ね、
クイーン+ポール・ロジャース
2005年 6公演
クイーン+アダム・ランバート
2014年 2公演
2016年 3公演
2020年 4公演
15年間で
15回ものステージを重ねてくれていた。
2020年の来日公演発表のとき、私は思った。
“Teo Torriatteが4回も歌える”
それが当たり前になっていて
果たしてそれに感謝しただろうか。
ただ舞い上がっていただけではなかったろうか。
ROYさんが上げてくれた自ら撮影の動画を
再生してみた。
ブライアンのいつもの姿。
この花道の先までブライアンは
いつもてくてくと
時々立ち止まりながら
歩いてくる。
それは
ファンとの特別な時間を
少しでも長く過ごしたいかのように。
ROYさんのカメラは花道の斜め下
真横から捉えてくれていた。
この曲でブライアンの横顔を見ることは
あまりない。
“こんなに小さかったかな。”
その背中が小さく見えた。
最初の英語のサビに差しかかり
ブライアンは歌うのをやめた。
笑みをこぼし大きく大きく
何度も何度も
うなずいた。
そして
カメラがオーディエンスの方へ。
ブライアンの大好きな
光の海が広がっていた。
我慢していた
まぶたを閉じた瞬間
ぽたぽたと─
涙が流れ落ちた。
当たり前ではない。
日本語の曲を今
ブライアンのギターで歌えることは
いろんな偶然が重なった
奇跡なのだ。
ポールがいてアダムがいて
ブライアンとロジャーが
元気でいてくれて
日本を愛してくれているから。
変わらず大切に思ってくれているから。
当たり前と思っていたことを
もう一度考えてみよう。
感謝する気持ちを忘れてはいないか。
最終日
ナゴヤドームのステージを後にした時
撮影した最後の一枚。
規制退場で
足早に長い階段を上っていた。
振り返りながら涙でぼやけて
もはや何を撮っているのか
わからずにシャッターを切った。
彼らのぬくもりがまだ残るステージを
収めておきたかった。
一瞬頭に過ぎった思い…
“これで最後かもしれない…”
決して口にはしない。
そんなことはあってはならない。
また会えると信じたい。
でも始まりがあれば必ず終わりがある。
自分の人生が先に閉じてしまうことだってある。
それが現実だ。
この幸せをひとりで手に入れたかのように
思っていたかもしれない。
たくさんの人たちの支えと
たくさんの偶然の上に
この幸せが在る。
コロナ禍から免れ
来日公演が実現した奇跡。
そして
クイーンが初来日から45年もの間
変わらず日本を愛してくれているという
“もうひとつの奇跡”
当たり前のことに感謝することを
日々重ねて生きていこう
また今日から。
そんな大切なことを教えてくれた
ROYさんに
感謝したい。
(画像・映像すべてお借りしました)
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