今日も輝けるひとつの海をのぞいてくださりありがとうございます。
まだまだ先のことだと思っていましたが
遂にこの日を迎えました。
日本武道館 3days
31年前─
クイーンとして6度目の来日公演(1985年)
5月8日 東京・日本武道館
5月9日 東京・日本武道館
5月11日 東京・国立代々木競技場第一体育館
5月13日 名古屋・愛知県体育館
5月15日 大阪・大阪城ホール
この年がフレディ最後の来日公演となりました。
その日から31年目に実現した
日本武道館公演。
“ブライアンとロジャーが
再びあのステージに立つ”
日本中のクイーンファンが
歓喜に沸いたのは
2016年6月15日
公式発表
この時はまだ9月22日・23日の2日間のみの開催予定
その後7月29日に追加公演(21日)の発表があり
9月21日・22日・23日
日本武道館3days
が実現した。
(全くの余談になりますが、このポスターの文面の中の“新生クイーン”という言い回しが私は非常に気に入らない。
アダムが加わったものは“クイーン+アダム・ランバート”であって新しく生まれかわったものではない。
クイーンが新生したものなんてこの世にはありえない。
どんな定義をもってこんな日本語を編み出したのか理解に苦しむ。
軽々しく活字にしないでほしい…とモヤモヤと思ってしまいました)
さて気を取り直して
チケット価格はこちら。
・SS席 40000円
(特製Tシャツ・ラミネートパス・ロゴ入りトートバック・ツアーパンフ付き)
・S席 16500円
・A席 14500円
・B席 12500円
そして公演の2週間前に
急遽オンステージVIPパッケージの発売が決定。
ステージ上に用意されたVIP席チケットの他に
◆特典
バックステージ観覧ツアー
オフィシャルグッズ
開場時の優先入場
オフィシャルグッズの優先購入レーン
1公演につき12席のみ 抽選
価格 120000円
(クレジット払いのみ・アップグレード可)
さて
前回の台湾公演でも触れましたが
初日9月21日の前日は台風が日本の上空を通過していきました
日本中のクイーンファンは台風の動きに
まさに釘付け。
QAL御一行さまは9月19日に台湾公演を終え、翌日は台風が日本に接近する中、いつ移動したのでしょうか?
なんと台風が上陸した9月20日に日本に到着していました!
ブライアンのインスタグラムの投稿を拝借
こんな悪天候の中、よく無事に到着したものです。
パイロットの方と神様に感謝ですね。
ブライアンのTwitterから拝借
当日開演3時間前の会場の様子
Konnichiwa ! The beautiful Budokan ! Bri pic.twitter.com/mypTk9wCoj
— Dr. Brian May (@DrBrianMay) September 21, 2016
きれいですね〜✨
“The Beautiful Budokan !”
の言葉にブライアンの31年の想いが込められてるような気がします。
日本武道館─
正式名称は『にっぽんぶどうかん』
1963年10月に着工、工事期間わずか12ヵ月という異例の速さで1964年9月に完成し、同年10月3日開館式が行われました。
現在の皇居の内堀内にあり、第18回オリンピック東京大会では初めて正式競技に採用された柔道の競技会場となりました。
日本武道館ではいかなる催しであれ、天井から日本の国旗が掲げられます。
国民的行事も多く神聖な場所というイメージが強いですが、開館からわずか2年後の1966年には来日アーティストとして初めてビートルズが最初のライブを行っています。
その後68年のモンキーズや71年のシカゴ、レッドツェッペリンと続き、アリーナにも観客を入れるようになると、一万人前後(現在収容人数14471人)を収容するライブ会場となります。
70~80年代─
一万人を集められるアーティストはごくひと握り。
海外アーティストの主要ライブ会場となったこともあり、ミュージシャンの多くがここでライブすることを目指す憧れの会場となっていきます。
数万人を収容できるスタジアムなどがある中、日本に於ける「ライブの聖地」として何十年もの間、絶対的存在感を放ち続けてきた歩みがここにあります。
日本アーティストで初めて武道館ライブを行ったのは西城秀樹さん。(通称ヒデキ)
1975年から11年連続で開催、76年のステージはライブアルバムとして発売されました。
ここでの公演を収めたライブアルバムは数多く存在していますが、中でも語り継がれているのは「武道館」を「Budokan」として世界へ放ったことでも有名な1978年発売Cheap Trickの『Cheap Trick at Budokan』
本国アメリカでの人気はさっぱりでしたが、78年初来日の武道館公演をライブアルバムとして録音することは来日前に決まっていたそうです。
日本では発売直後から大ブレーク、珍しい“逆輸入”という形でアメリカに流通しその後正式リリース、全米チャート最高4位を記録。
武道館ライブによってまさに彼らも“日本によって火がついた”ロックバンドでもあるのです。
(実はCBSソニーが当初エアロスミスにライブ盤の打診をするも断られ、チープ・トリックに話が行き発売に至ったいう裏話あり。)
クイーンの初めての日本武道館公演は1975年初来日の初日4月19日でした。
同来日最終日5月1日にも行っており、その後76年3回、79年5回、81年5回(ステージセットが巨大化したため武道館のみ)、82年無し、85年2回と計17回行われました。
では最後に座席表をご紹介しておきます。
日本武道館の座席表 (引用元)
コンサート開催時は北が正面になり、北、北西、北東の座席は使用されません。
スタンド席の特徴としては1階席の上に2階席がせり出している構造になっています。
そのため1階席の奥の方になると、視界の半分くらいは天井になってしまうという難点があります。
また2階席は急勾配な上に足元も狭く、立ち上がると一瞬恐怖を感じるほどです。
2階席最前列だけはスタンディング禁止となっています。(1階席はOK)
では
初日セットリストの発表です
【セットリスト(61)】2016/9/21 Budokan-Tokyo, Japan_Day1
この日の目玉はなんと言っても
“The Show Must Go On”
この曲は2014年来日時のサマーソニックでも披露されていません。
QALとしては初めて、さらにこの武道館3日間の中でこの初日のみのリストインとなりました。
そして☆印の4曲
Hammer To Fall
Don’t Stop Me Now
Tie Your Mother Down
I Want To Break Free
お馴染みの定番曲ですが、日本に於いてはこの時がQALとしては初めての披露となり、武道館3日間は全て演奏されました。
それではお待たせいたしました!
開演です
オープニング
◆1.Seven Seas of Rhye
いきなりですが…
開演早々
ハプニング
(いえ、アダムくんではありません…)
ブライアンが…こけた
幕が上がってすぐ、アダムと並んで花道を進んだかと思ったら
足がもつれたのか滑ったのかわかりませんが
いきなり転んでしまいました
尻もちをついたような感じだったので
(レスぺ🎸は守ったブライアン!)
大事には至らず
レスぺを抱えながらもすぐに体勢を立て直し
何事もなかったかのように再び歩き出しました。
開演直後
一瞬の出来事だったので
気づかなかった方も結構いらっしゃったようです。
こちらはスタンド席西エリアから撮影された
唯一のオープニングフル動画。
1:05のところでブライアンが転んでいるのですが
ちょうど人の陰で見えない。
画面上に天井が映っているので1階席であることがわかる。
幕が上がりあちこちで人が立ち上がり始めた。
アダムの姿を何度も繰り返し、追った。
本当に…憶えていない自分が情けない。
記憶は上書きすることはできないのだから。
ブライアンの転んだシーン(0:52~)
が収められた動画がありました。
こちらはオープニングから7曲目までのダイジェスト版になります。
◆6.Killer Queen
前回の台湾からまた使いだした羽ジャケット
ここ武道館でも引き続き着用。
かなりの近距離、スポットライトの向こうから椅子に向かって歩いてくる姿にドキドキする。
アダムは緊張することなく、でもこの武道館への気合いは感じられる。
ブライアンのソロになると客席が沸いた。
この日初めてのスピーチに入るところまで収めてくれている。
ありがたい。
◆7.Somebody To Love
ジャケットや靴の自慢をして“フレディが気に入ってくれたら嬉しいけど”みたいなことを話しているのかな。
アダムにとってこの曲が特別な曲なんだと知ったのは、このブログを書くようになってからだ。
この場所にいた、この頃の私にとってはクイーンの主要な曲のひとつに過ぎなかった。
(フィニッシュの“love~!”をアダムに向けてちゃんと歌ってあげたかったな。)
武道館という舞台に気負いせず、アダムは堂々と歌い上げ前半を終えた。
素早く次のブライアンの舞台へ移っていく様子が、続けて撮影されていた。
ここが収められているのはとても貴重だ。
この場のその時の空気感が伝わってくる。
これも大切な臨場感のひとつだ。
◆Selfie Stick
武道館初のセルフィー📸
「Selfie Stickは日本の素晴らしい発明!」
その日本の素晴らしい発明をそこまで堪能してもらえて
日本人として光栄です
しかしこうやって見るとすり鉢状の武道館
結構2階席の最後尾まで映ってますね~!
海外でもここまできっちり収められてる会場はなかったんじゃないでしょうか
さあ、この日行かれた方はご自身の姿を探してみてください
私は2階席だったんですが
何となくこの辺かなあ…くらいしかわかんないわ
◆11.Love of My Life
◆12.Teo Torriatte (Let Us Cling Together)
武道館での“Love of My Life”を遡ってみると
最後の来日となった
1985年5月9日にたどり着く。
ブライアンはしんみりと歌い出した。
会場の大合唱を聴きながら
脳裏には31年前のことが蘇っていたのだろうか。
動画は途中画像が乱れながらも何とか撮影を続けてくれたようだ。
そしてTeo Torriatte (Let Us Cling Together)
この曲が武道館で初めてプレイされたのは三度目の来日1979年。
実はこの年5回の武道館公演中、初日と2日目はセットリストに入っていなかった。
ツアー四日目の大阪フェスティバルホール公演で初披露され、その3日後の4月23日、武道館に於いて初めてのリストインとなった。
日本への感謝を込めて
日本のファンのために作ったこの曲。
ずっと堪えていたのだろう。
曲が終わり会場に背を向け
スタッフにギターを手渡し、歩きだしたその時
思わず目元を拭った。
振り返った瞬間…
自分がひとりであることに気づいたのだろうか。
◆11.Drum Battle
◆12.Under Pressure&Talk(3:06~)
貴重なドラムバトル。
2012年からかけ持ちでQALのサポートメンバーとして参加していたルーファスはこのアジアツアーを最後に離脱している。
公式発表はこの翌年だが、この頃にはもう決めていたのだろうか。
武道館での親子バトルが実現したのもすごいことだ。
二人とも力一杯のバトルだった。
そしてUnder Pressure
この年の1月に他界したデヴィッドボウイを偲んで、ロジャーの“失った友へ”の言葉のあとQビジョンにボウイの顔が写し出され、この曲は始まる。
ボウイは通算7回の来日を果たし
8回もの武道館公演を行っている。
2004年3月9日が最後の武道館となった。
それ以来のボウイの姿だ。
フレディのパートをアダム
ボウイのパートをロジャーで歌い上げる
Under Pressure。
ふたりはどこかで聴いていただろうか…。
映像は次の曲Crazy Little Thing Called Loveに移る前の
ブライアンがアダムを披露する紹介の部分まで収めてくれてある。
曲の動画が見つけられなかっただけに
これはとても貴重だ。
「アダムランバートさん…」
最後の“デス”を忘れちゃったのかな?
ブライアン🤣
(↓こちらYouTubeで見るから動画再生できます)
◆16.Who Wants To Live Forever
サマーソニックから2年…
こんなに変わるものなんですね。
アダムが急成長したこの時期、この曲の変貌は見逃せない。
どんどん引き算されて、余分なものが削ぎ落とされてシンプルになっていく。
後半ミラーボールが降りてくる様が、アリーナ席から見事に捉えられていた。
まだこの時は
ミラーボールに支配されているこの世界。
いつ、どの瞬間
アダムの闇と化するのか。
◆17.The Show Must Go On
今回の来日、この日のみのリストインとなったこの曲。
なぜこの日だけだったのか…。
このアジアツアーでは武道館の二日間以外全てにリストインしている。
これが理由かどうかはわからない。
しかし前回の台湾でのこの曲の不調が
まさか尾を引いているとは…。
台湾公演で2コーラス目に入って歌詞が飛んでしまうミスがあったことは、前回のレポートで触れた。
なんと…
アダムはまた同じ箇所で歌詞を失いかけ、同じように飛んでしまった。
しかしアダムもブライアンも慌てることなく、軌道修正した。
ブライアンはその間、一度もアダムの方を見ることはなかった。
オープニングから順調に来ていると思っていた。
アダムどうした?
◆19.Tie Your Mother Down
◆20.I Want To Break Free(4:41~)
アダムは心配をよそにいつも通りだ。
ブライアンのギターソロの時間が気持ちの切り替えになってくれたかな。
Tie Your Mother Downのクルクル回るこのお馴染みの照明。
たぶん2階席からの撮影だと思うが、武道館のすり鉢状の構造とこの高さからのアングルが他にはない照明効果を作りだしている。
光の交差が目の前で起こり、向かってくる光に翻弄され目が回るような感覚だ。
ルーファスにとっても最初で最後の武道館でのドラミング。
いつになく気合いが入っていた。
そして場内暗転。
ブレイクフリーの紫が浮かび上がり、スパイクのキーボードが響き渡る。
それだけで胸がいっぱいになる曲。
後半、ステージ上手側の展望デッキに上がったアダムを2階席から見下ろす。
この高さから見下ろせばアダムとの距離が縮まる距離感だ。
(2日目はちょうどこの南席だったのでこんな風に見えてたんだ…)
7:14~
デッキから階段を下りステージに戻る時
突然小走りになり、ブライアンのところまで足早に走り込んだ。
こんなアダムの姿も
今見れば大騒ぎだな。
可愛いったらありゃしない
◆21.I Was Born To Love You
正直に感じたことを言ってしまうと
“意外”だった。
この曲のサマーソニックでのイメージが強すぎたせいもあるのか
淡々と歌うアダムに少し違和感を感じた。
これが“日本限定曲”の難しさだろうか。
前回の2014サマソニでは前公演の韓国でまさかの本番フライング、リハーサルも兼ねてだったと思うが皮肉にもそれが功を奏した。
今回はたぶんリハーサルも十分に出来ていなかったのかもしれない。
ブライアンのギターからもそれは伺えた。
実際に会場で観ている限りでは、ほとんどわからないだろう。
あと残り二日間、アダムがどう持ってくるか
そこがかえって楽しみではある。
◆22.Bohemian Rhapsody
フレディとパートを分け
ここまで歌ってきたこの曲。
このツアーを最後に
翌年の北米ツアーからは
エンディングのパート以外すべて
アダムが歌うことになる。
このアジアツアーが始まる頃には
もうそれは決まっていた。
アダムにも覚悟ができていた、はずだ。
この武道館公演が決まったことも
この決断を後押ししたのかもしれない。
来日公演は
アダムが急成長を遂げていた
16年欧州サマフェスツアーの真っ只中に
発表された。
31年ぶりに武道館のステージに立つことになった
ふたりのレジェンド。
このタイミングで武道館公演が実現したことが
まるで何かに導かれたような気がする。
15年ロックインリオのように
誰かのいたずらなのか…。
◆23.Radio Ga Ga
Bohemian Rhapsodyを歌い終えたアダムはほっとしたようだ。
顔がほころんでいる。
中盤いつものように客席へ降り立った。
ひとりひとり丁寧に握手を交わし、歩いていく。
すると途中で少し動きが止まった。
2:46~
前かがみになり姿勢を低くした。
一瞬小さな手が見えた。
小学低学年くらいのお子さんだった。
アダムはしっかりとその小さな手を握りしめ
笑顔を交わした。
アダムは子ども好きだ。
ライブ中に子どもを見かけると満面の笑顔になる。
武道館でこんな間近でクイーンを観て
アダムに握手してもらえるなんて!
この子が大人になっても
アダムの笑顔を思い出してくれますように。。。
アンコール
◆24.We Will Rock You
◆25.We Are The Champions
◆26.God Save The Queen
何かから解き放たれたような清々しい笑顔。
力強く言葉をかみしめ歌い上げる。
台湾と同じ衣装
漆黒のガウンをまとい
堂々と。
ライティングが色濃くアダムを照らし
絢爛さを増していく。
アダムはすっかり自分を取り戻していた。
明日への序章のように
余韻を残し
最初の夜を後にした。
こちらは最近目にしたものですが、ブライアンがアダムについて語っている記事です。(原語はスペイン語。) 2021/8/11付
↓ブライアンの言葉を抜粋し、原語のスペイン語をGoogle翻訳にかけ私なりに訳してみました。
“アダムはフレディを真似たり、彼の代わりになろうとは決してしない。曲を自分の感覚で解釈しています。それは美術館に飾られるための作品ではなく、フレディの息づかいの残ったステージが存在するということです。フレディが登場する場所はほとんどありませんが、それは素晴らしいバランスで保たれています。”
これは幾度となく、これまでブライアンが口にしてきた言葉です。
彼はいつもアダムを称賛し誇りに思い、全力で守り支えてきました。
それに付け加え
私が初めて耳にした興味深い言葉があったので
ここに記しておきたい。
↓抜粋を英訳
“There is even a moment when Adam can interact with Freddie in a strange way.”
“アダムが奇妙な方法でフレディと対話できる瞬間さえあります。”
ステージ上ではブライアンはアダムのいちばん近くにいることが多い。
そのためか、何かと感じとりやすいのだろう。
特に“Who Wants To Live Forever”の曲は特別だ。
アダムとの距離が近くなり、レスペを通してアダムとコンタクトをとる場面が多くなる。
この曲はいつもアダムに寄り添い、彼の成長をいちばん間近で見てきた曲だ。
(いずれこの曲を通して追ったアダムの記録を記事にまとめようと思っていますが、たぶんとんでもない大河ドラマ作品になる予定💦)
その中で先程ブライアンが言った
“アダムが奇妙な方法でフレディと対話した瞬間”
と感じられるシーンがある。
(あくまでも私の主観ですのでご了承ください)
2015年欧州ツアーで、アダムの体調不良のため中止になったブリュッセル公演の2日前ドイツ・ハンブルク公演での
“Who Wants To Live Forever”
のワンシーン。
かなり前から悪化していた体調を押しきり
この中止公演2日前までツアーを進めてきたアダム。
“最高のパフォーマンスができなければ
それはやるべきではない。”
信念を貫き通すことを自身で選び
アダムは最後の瞬間、中止公演の前夜まで
最高の、いつもと変わらぬステージを務め上げた、
波乱の欧州ツアー2015だった。
そんな中で気持ちが不安定になって不可解な動きも見られる日もあったが、このハンブルクでは嘘のように落ち着きを取り戻し、このリブフォーエバーの不思議なパフォーマンスを生み出した。
マイクを外したその手に
何かが乗り移ったかのように見えた。
次の瞬間
花道に進み行くアダムは
別人のようだった。
↓その時のアダムを詳しく追ったライブレポートを貼っておきます。
よければご覧ください。
クイーンの魂ともいえる
Bohemian Rhapsody─
武道館でのフレディを最後に
エンディングの掛け合いのシーンだけを残し
他のパートをすべてアダムに歌わせる。
映像が消えても声がなくなっても
フレディの存在がなくなるわけではない。
この武道館公演はそれを確信させるためにも
重要な3日間だったのだ。
この武道館にフレディは現れる。
アダムに何かを告げにくるかもしれない。
ブライアンはそんなことを
感じていたのかもしれない。
今日も最後までおつき合いくださりありがとうございます。
武道館初日、無事終わりました。
アダムくん、ちょっと…というよりかなりプレッシャーあったのね。
緊張していたんだろうなあ。
(日本はいろんな意味で圧が強いなあとか思ってるんだろうな。)
圧がかかればそれをバネにするのがアダムの得意とするところ。
では次回
そんなことを期待しながら
武道館2日目に突入したいと思います!
どんなアダムくんが待っているやら~
またよろしければおつき合いくださいませ
(画像・映像すべてお借りしました)
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