今日も輝けるひとつの海をのぞいてくださりありがとうございます。
今日は11月24日
Freddieが遠い空へ旅立った日
あれから29年が経ちました。
ブログをスタートさせてから
初めて迎えることとなったこの日─
生誕日のときと同じように
書くことに躊躇していた。
そんな時一週間程前
いつものようにブログのための動画を
検索しているとき
何気に引っ掛かってきた
ある動画が目に止まった。
アダムともQALとも違う
それはクイーンのフレディが歌う
“Somebody To Love”
の動画だった。
あのモントリオールだ。
1981年11月24日・25日収録
この曲はブログのライブレポートでも
毎回のように取り上げてきた。
アダムが楽しいとき、辛いとき、悔しいとき…
どんなときもアダムに寄り添い励まし
時には突き放し…
アダムの戦友のような存在である曲だと
綴ってきた。
Somebody To Loveを100回歌えば
100の“Somebody To Love”がある。
アダムの成長とともに
その姿を変えてきた
特別な曲─
このブログを書き始めてから
そういえばフレディが歌うこの曲
久しく聴いていなかったなと気づいた。
恐る恐る…再生をしてみた。
思考能力がストップした。
ただ、ひとつの言葉だけが浮かんできた。
“フレディにはかなわない。”
私は今まで
フレディとアダムを比べることは
なかったとは言えない。
しかしあえて
わざわざ比べることはなかった。
しかしこの時
初めてふたりをまざまざと比べた。
もう一度聴き直した。
何度もリピートした。
アダムはもう
自分の“Somebody To Love”と
出会っている。
8年かけていろんな思いを乗り越え
この曲と向き合ってきた。
それは=フレディと向き合ってきたことでもある。
“フレディと比べられること…”
それは避けては通れない道だった。
クイーン+アダム・ランバートとして活動を始めてから、アダムはこのしがらみから逃れられることはなかった。
むしろアダムは逃げようとはしなかった。
想像以上の苦しみ
葛藤があったはず。
いつも、何事にも、誰に対しても
アダムは真っ直ぐに、正直に真摯に向き合う。
自分自身で答えを出し
それを全うすることができる責任感と強い意思を持っている。
ブライアンはアダムに出会った頃
こんなことを言っていた。
「アダムはフレディが持っている“装備”をすべて兼ね備えている。」
もちろん、ふたりは全く異質のものだ。
しかし“兼ね備えているアイテム”は
同じものを持っていた。
そのアイテムの使い方やカラーが
ふたりは異なっているだけだ。
そんなふたりが歌う
ふたつの“Somebody To Love”
曲は人の手を離れて
初めて命が吹き込まれると思っています。
命が吹き込まれる=心に届くということです。
それは必ずしも一度きりとは限らないのではないか
と最近思えてきた。
最初にフレディの手を離れて私たちの元にやってきた
“Somebody To Love”
灯火は一度消えたがそこにまた新たな命が吹き込まれ
違う色で輝きはじめる。
ひとつの曲がいくつもの色を持ってもいいのではないか
それが尊ければ必ず人の心に届く。
そう教えてくれたのが
アダムだった。
→2020/6/6 自身のブログ記事より抜粋
今、フレディが
いちばん望んでいることは
曲に新しい命を吹き込み
かつて自分が送り届けた世界中の人たちに
再び送り届けてほしい、ということではないか…
命日となった1991年11月24日から
ちょうど10年前の同じ日に行われた
モントリオール公演。
アダムの歌うこの曲が
これだけ蔓延している私の心にも
フレディの歌声はしっかり響いてきた
色褪せることなく。
1981年11月24日。
当時フレディ35歳。
このモントリオール公演の
わずか2ヶ月後に生まれたアダムは今
38歳になった。
アダムはフレディについて「中低音の伸びがかなわない。自分にはないもの」と言っていたことがある。
確かにそこはフレディの魅力のひとつでありこの頃は“頂点”ともいわれていた、まさに勢いに乗っていた時期でもあった。
まだ若さを残すその横顔。
自らピアノの前に座り奏でるあの名旋律。
アダムが憧れるその中低音が
たった1フレーズでひとつの世界を作り上げる。
その芸術性は
アダムが一生かかっても
手に入れることはできない。
オリジナルだけが持つ
圧倒的存在感。
色褪せることなくその原型は
いつでもそこにいた。
“Queen – Somebody To Love – HD Live – 1981 Montreal”
この曲の大きな特徴─
それは曲の中間地点から早くもフィニッシュに向けて展開を始める
これは曲のほぼ半分近くをエンディングに費やしている
ということになる。
この長丁場
最初の頃のアダムにはかなりの難関だった。
ペース配分を感覚的に体へ叩き込むまでは
試行錯誤の繰り返し…
フレディの遺した遺産は彼を苦しめた。
そんな中
アダムを支えてくれたのは
やはりブライアンとロジャーの存在。
フレディをサポートしたように
同じようにアダムを見守る。
何ひとつそれは
変わってはいなかった。
驚異的なことにこのふたり
40年近くの時の流れを全く感じさせず
忠実にクイーンの音を演じ続けている。
この曲を
色褪せることなくカバー出来ているからくりが
ここにもあると言える。
そんなアダムの
“Somebody To Love”─
誰もが選ぶとすれば…
この秋に発売されたQALのライブ盤「Live Around The World」に収録されている2016年ワイト島。
アダムの急成長のピークへと加速する時期
自信と躍動感に溢れていて
もちろん文句のつけようはない。
でも今回は
私の中での最高峰の“Somebody To Love”
をご紹介したい。
2015年欧州ツアーの最終日
シェフィールド公演。
パフォーマンス的なレベルで比べれば
もちろんライブ盤収録のワイト島の方が遥かに上だ。
しかし、2015年はアダムにとって
ターニングポイントとなった
重要な時期。
アダムが自らの体調不良のため、ツアー中盤ベルギー・ブリュッセル公演を当日キャンセルするという最悪の事態を招き、それを乗り越え千秋楽を迎えたツアーだ。
このツアーがなければ今のアダム・ランバートはいなかった、と私は思っている。
そしてブログの記事でも何度も話してきた
この曲の最後の“love”─
(今は当たり前のように私たちオーディエンスが歌っているが
最初からそうではなかった)
千秋楽シェフィールド公演を最後に
アダム自身が歌い続けてきたこの最後の“love”を自ら封印し
オーディエンスのためだけのものにした。
名残惜しそうに
そして晴れやかに歌いきった
最後の“love”─
アダム当時33歳。
モントリオール35歳のフレディと
同じくらいの時であった。
Queen + Adam Lambert Somebody To Love Sheffield 27-2-2015″
そして今日この日に
もうひとつの“Somebody To Love”を。
フレディが他界してから5ヶ月後の1992年4月20日に行われた追悼コンサートで披露された、そうあの偉大なるヴォーカリストが遺してくれたのがこの曲だった。
2016年12月25日に生涯を閉じ、
フレディの元へ旅立った
ジョージ・マイケルだ。
ウェンブリースタジアムに響き渡った
彼の“Somebody To Love”は
また違う名曲の輝きと威厳を放ち
フレディの追悼に華をそえた。
フレディのそれとも
もちろんアダムとも違う
全く別の存在感を持っていた。
この稀なる才能を発揮した
当時の彼の年齢は…なんと28歳。
たった一夜で作り上げた
若き日ジョージ・マイケルの
奇跡の“Somebody To Love”と言ってもいいだろう。
Queen & George Micheal Somebody To Love
曲は生きている。
送り手によって姿を変え
聴き手によってその価値を問われる。
フレディが遺してくれたクイーンの楽曲たち。
“俺の歌は使い捨てでいい。”
と言っていたフレディ。
そんなことはない。
こんなにも大切に歌い継がれている。
“自分が歌うことで
ライブに来てくれた人や
レコードを聴いてくれる人が
ただ楽しんでくれればそれでいいんだ。”
フレディの遺志は形を変えることなく
ここに受け継がれている。
フレディ
もしそう感じているのならば
どうかアダムをお守りください。
彼はまだこれからたくさんの敵と
戦っていかなくてはならないのだから。
“One and only, Freddie Mercury─”
どうか安らかに。
少しでもこの輪が広がることを願って。
◆フレディマーキュリー基金
1992年に行われたフレディ・マーキュリー追悼コンサートの収益金を元に設立された世界規模でAIDS撲滅のために活動するチャリティー財団。
THE MERCURY PHOENIX TRUST
(画像・映像すべてお借りしました)
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